横津神社(よこつ)        HOME blog

鎮座地 〒878-0574 大分県竹田市大字神原1822番地 旧豊後国 直入郡  
電話  
旧社格等  郷社  
御祭神  ・木下俊長
御由緒  横津神社由緒沿革
 第三代の日出城主を奉斎する。公は慶安元年に生まれ、亨保元年六十九才で没した。
遺命によりて現在の横津の森に鎮葬し、生前は郷内に於ける治山、治水の御偉業大にして郷内はもとより旧領内に及びて神社仏閣の奉改造修、御供米田、鳥居、石灯篭等を寄進し敬神崇祖と共に郷内の諸産業、文化の振興に意を用い、亨保元年九月八日六十九才で死去。
 明治元年三月、神仏分離の太政官布告により、神社は明治九年御神徳と共に無格社に列し、大正十四年三月十一日、郷社に昇格。昭和二十一年三月、神社制度改正に伴い社格を撤廃せられてより旧日出郷五か町村の崇敬者の奉賛によりて今日にいたる。
 昭和五十二年四月八日、神社創立壱百年記念祭を執行し各種記念事業で境内地内外の整備。昭和五十七年、諸事業の竣工奉告祭。
 尚、平成元年より五年に亘り御大典記念事業として拝殿瓦葺替え、全般の整備と日本人の心の故郷を呼び起こす神地として各種に亘り整備して又、人々の精神道場の神域づくりをすすめている。
 (平成祭データ)

 日出郷守護神横津神社(郷社)
鎮座地
 大分県速見郡日出町大字藤原字3049番地
祭神
 日出藩三代藩主 木下右衛門太夫俊長公
俊長公は歴代藩主の中では旧日出郷に数多の溜池を造成して新田開発や水稲・七島蘭・薩摩芋の生産を奨め、植林に励み大森林を造成されました。また、儒学を人見竹洞に学んで文学を奨励し、絵画を狩野常信に師事して社宝「六歌仙」等を遺されました。
 更には神仏崇拝に篤く、多くの社殿寺堂の建立・鳥居寄進にも努められました。藩民からこれらの功績を称えられ横津の社の祭神となられました。
例祭
 01月01日 元旦祭
 02月初午 祈年祭(於・豊張稲荷神社)
 04月07日 春季例大祭前夜祭
 04月08日 春季例大祭
      関連行事 氏子地区親善ゲートボール大会
 08月26日 夏越大祓祭
      関連行事 氏子地区親善ゲートボール大会12月31日 除夜祭
神紋
 独楽(こま)、全国唯一木下家の家紋として知られ、甍にその家紋を遺しています。
境内
 約7千平方メートルの境内地に霊験あらたかなる豊張稲荷神社・愛宕社を祀り、町内屈指の桜の名所として有名です。
別府湾の眺望は素晴らしく、観光協会の散策コースにも選ばれ、裏山運動公園にはゲートボール場三面を併設しています。
沿革
 慶応4年(1868年)太政官布告神仏分離により横津御廟から横津神社となり、明治10年(1877年)此の地に全社殿を建立しま
した。大正14年(1925年)郷社に列せられましたが、昭和21年(1946年)神社制度改革によって社格は廃止されました。
 平成12年(2000年)創建120年記念事業として社務所改築・大鳥居移転・表参道整備・裏山の運動公園化・駐車場整備に着手し、翌年10月記念事業竣工落成に伴う奉祝祭を斎行しました。
  (社前案内板より)
 
参拝月日  06/14/2008

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一の鳥居 拝殿