八剱(やつるぎ)神社                               HOME blog

鎮座地 〒807-0051 福岡県遠賀郡水巻町大字立屋敷字丸ノ内203 (旧筑前国 遠賀郡) 
電話  
旧社格等  村社
御祭神 ・日本武尊(やまとたけるのみこと)
・砧姫命(きぬたひめのみこと)
(配祀)
・稚産靈神
(合祀)
・高皇産日尊 ・天照皇大神 ・大國主命 ・大物主命 ・御年大神 ・御雷大神
御由緒  八剱神社由緒
主祭神: 日本武尊(やまとたけるのみこと) 砧姫命(きぬたひめのみこと)
 合祀神社: 保食宮・天津神社・国津神社・天満神社・多賀神社・宮地嶽神社・貴船神社
 境内社 :  月読神社・馬野神社・天照大神社・猿田彦神社

由緒
 第十二代景行天皇の御代(71年~130年)、日本武尊は筑紫の熊襲征伐の途次、この地にて砧姫を娶られた。尊が東国征伐の帰途、崩御されたのを聞き、尊の仮宮跡に社祠を築き「御館大明神」として祭るを当神社の起源とする。
後に「八剱大明神」と改称。
 文治元年(1185年)山鹿城主、山鹿秀遠が、社殿を造営、その後も尚武の神として、大内、小早川、黒田、と城主、国主により五度、社殿は造営された。
 当神社は元は、水巻の庄数か村の産土神であったが、遠賀川の改修工事(1628年)により分村、分霊して、今では立屋敷区だけの神社となっている。
 境内の大銀杏樹は、日本武尊のお手植えと伝承、樹齢千九百年、県指定の天然記念物で、昔から祈願してこの樹皮を煎じて飲めば母乳が出ると伝えられ「乳の神様」と近郷はもとより遠方からも多くの参拝があり、今も祈願者がある。
 社宝として、壇の浦の源平合戦の戦勝祈願に、山鹿秀遠が奉納した県内最古の「木造の狛犬と随神像」があり、共に町の文化財に指定され「水巻町歴史資料館」に展示されている。
 社殿内の一対の大型絵馬は、天保十一年(1840年)近隣の二十カ村で祈願奉納したもので、裏
面に作成経過が詳しく書かれ民族資料としても、貴重なものとされている。
境内のチシャの木は県内第三の巨木で町の指定文化財である。
 合祀の保食宮は古来より、五穀豊穣祈願の郡宗社であった。
寛文十年(1670年)蝗害(いなご)発生の際、当村の蔵冨吉右エ門が「この神のお告げ」を受けて、鯨油を駆除剤に使い害を免れたと人々に伝えた。その後九州はもとより西日本一帯までも拡まった。これが日本農業の害虫駆除の始まりとされている。
この御神徳により、享保十七年(1732年)黒田継高公の命で「筑前国総鎮守」の社となったが、明治十七年八剱神社に合祀、堤防上の二本の夫婦銀杏樹は当時の境内樹である。
 
 (境内案内板より)
参拝月日  08/05/2005

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                 一の鳥居                           砧姫伝説の大銀杏から拝殿
     
         
                拝殿                                    本殿