御由緒 |
住吉三神は、遠い神代の昔に、伊弉諾大神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓)をされたときに、志賀海神社の御祭神、ワタツミ三神と警固神社の御祭神・直毘の神と共に御出現になりました。したがって、当社の御鎮座は、遠い遠い神代のことで年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです。別称、住吉大明神とも呼ばれていますが、それは年代も古く、由緒も正しく、崇敬の顕著な神として選ばれた延喜式の明神祭にあずかる社格として認められたものと思われます。
(平成祭データ)
若久住吉神社
鎮座地 福岡市大字若久小字住吉
(南区若久一丁目二十番十四号)
●御祭神
当若久住吉神社は底筒男神(そこつつおのかみ)、中筒男神(なかつつおのかみ)、表筒男神(うわつつおのかみ)の住吉三神を祭神とし、相殿に神功皇后菅原神社(菅原道真)を合祀します。
●御由緒
住吉三神は遠い神代の昔に、伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓)をされた時に、志賀神社の御祭神、ワタツミ三神と警固神社の御祭神・直毘の神と共に御出現になりました。したがって当社の御鎮座は遠い遠い神代のことで、年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです。
祭神菅原神は大字若久字天神に無格社天神社として祭祀してありましたが、大正十三年十月十四日許可を受け、明細帳編入と同時に合祀されました。
●社殿
約千八百年前、第十四代目仲哀天皇の皇后となられた神功皇后が熊襲叛するに及び、天皇とともに西征途中、天皇が香椎で崩御のあと新羅を征して凱旋され、誉田別皇子(後の応神天皇)を筑紫で出産されましたが、新羅から帰国されたとき、ここに立ち寄られ、ここに神社を建てようとされたということに起源しております。
一説には、約三百八十年前に、この附近のお金持ちの人たちがこの地をならして当時の国主、黒田長政によって、住吉三神と神功皇后、天神様となった菅原道真公のご神徳を奉賽して造営されたものと伝えられています。
その後老朽化したため、現在の社殿は昭和三十九年、地元の金子市作、大野惣次郎、国武英太氏らの篤志家によって改築されたものであります。
●境内平地
境内平地には天保六年四月の鳥居、つづいて注縄掛石に左に(神光長明)右に(松寿千古)とあり昇格記念として大正十五年十月の建立と刻まれています。
●こまいぬ(狛犬)
社殿の前に据え置かれた一対の獅子に似た狛犬の像は昭和六十三年十月、地元の三浦久・三浦千代子ご夫妻同じく三浦郁夫・三浦美春ご夫妻のご寄進によるものであります。
●神殿
神殿後方には若久公民館があり、なげしには明治、大正の絵馬が四枚掲げられています。
●境内地
総面積約二千坪で周囲は竹林と鬱蒼とした樹木に圍まれ神々とした神域を醸しています。
社殿の正面左手には、黒田長政公の植樹と伝えられる山桃の木が亭亭とそびえ、御祭神の禊祓に房わしい御神木として大切に保存されています。
●神事
毎年恒例として
一月一日
五月三日
十月十六日
いづれも午前十一時から禊祓の神事のあと直会が行われます。
(境内掲示板より)
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