御由緒 |
本社は永禄年間邊春丹波守盛道内牧在城の折、内牧城内に勧清盛道奉幣祈願の社なり。
天正の初め薩州島津義久氏当地攻略の時落城と共に自刃す。
天正十六年加藤清正肥後を領せらるに当たり家臣加藤馬之允可重を城代たらしめ天神社を蛭池に遷し奉り慶長元年下屋敷に遷座す。同年社内に一寺を建立し天満の二字を採り天松山満念寺と号す。
以来明治初年まで満念寺の社僧が祭祀を司る。
明治四年郷社、同八年村社に列す。
社殿は元禄十五年再建なりしが、明治十七年十一月焼失しその折ご神体を除く宝物旧記悉く焼失した。
明治二十三年新たに宮造りを為し、同四十年には詔勅により神饌幣帛料を奉らせ給う。
例大祭 九月十五日
(境内案内板より)
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