綱分八幡宮(つなわきはちまんぐう)       HOME blog

鎮座地 〒820-0101 福岡県飯塚市綱分866-1 旧筑前国 嘉麻郡  
電話  
旧社格等  県社  
御祭神  ・應神天皇
 ・仲哀天皇
 ・神功皇后
御由緒  往古神功皇后、新羅より帰らせ給ひ、その年十二月十四日、粕屋郡蚊田(現、宇美)邑にて誉田皇子(応神
天皇)を生まし給ふ。
 明年辛巳歳春二月京に帰り上らせ給わんとて、皇子をたずさえ蚊田邑より大口の峠(しょうけ越し)を越させ給ひ、穂波郡に出させ給ふ。それより嘉麻郡にうつらせ給ひ、金石山の麓金丸村(現綱分)の清地に御輿をとどめさせ給ひ、皇后勅曰く、「吾この度三韓を隨へ筑紫をおさむ、猶又婦女のただならぬ、身につつがなく皇子やすらかに生させ給ふ事偏に神の力なり。然れば此所に於て天神地祇を祭り報賽の幣帛を奉らん。」と則武内宿禰に命じて神祇を祭らせ給ふ。この時神霊となりし三振の宝剣その他種々の神宝又蚊田邑にて、安産のまじないなればとて、槐の枝にかけ給ひし御産の綱を分て、この斎場に納めさせ給ふ(よって綱分の号ここに起る)。
かくて皇后群郷及百寮をひきいて京に帰り上らせ給ふ。それより御代々を経ぎ人皇四十五代聖武天皇神亀年
中に至りて、郷人いにしへよりの伝説にもとずき八幡宮を祝ひ奉らんと宮所を定め、その地を改めしに三つの瓶を掘らせり。内に三振の宝剣(皇后神祇を祭らせ給ひし時神霊となりし宝剣)あり、則八幡宮三所(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)の御神躰として、初めて祝ひ祭り奉る綱分八幡宮是なり。
 (平成祭データ)
参拝月日  10/20/2007
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 一の鳥居                                 拝殿