日向國二の宮「式内社」都萬神社(つま) HOME blog

鎮座地 〒881-0033 宮崎県西都市大字妻1 旧日向国 児湯郡   
電話  0983-43-1238
旧社格等  県社 (現別表神社)
日向國二の宮 日向國総社 
式内社 日向國兒湯郡 都萬神社
御祭神  ・木花開耶姫命
御由緒   延喜式内 都萬神社案内記
天孫降臨と都萬神社 恋にやさしい縁結びの神
 当都萬神社は大山祗神の娘木花開耶姫命をお祀りする延喜式内のお宮で妻萬宮(さいまんぐう)とも申します。
 天孫瓊々杵尊と木花開耶姫命が逢初川で見逢いされ、事勝国勝長狭神の仲人により日本最初の正式な結婚式が八尋殿で挙げられ、新婚生活を送られた処と伝えられ、サクヤ姫は結婚一夜にしてご懐妊されたので、天孫ニニギの尊ははたして自分の子供であろうか?と疑われたのを恥給い、木花開耶姫命は身を以て貞節を示さんものと〃無戸室〃産殿に火を放ち「もし貴方の子供でなかったら私は焼け死ぬでありましょう、貴方の子供であれは火に害のう事なく無事に生まれましょう」と誓いをたてられ、無事に三人の皇子(火蘭降命(ほつせりのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、火明命(ほあかりのみこと))をお生みになり女性としての純潔を示されたところと伝えられます。そのことは『日本書紀』に次のように記されています。
 天孫瓊々杵尊曰く「汝は(サクヤ姫に対し)霊異しき威有し。子等復倫に超れたる気有り」と仰せになり木花開耶姫命をいたわり敬愛の情をお示しになっています。三皇子の御名は火の中でお生まれになったので火の字が附してあります。尚無戸室産殿でお生まれになった三皇子の産湯をお使いになった〃児湯の池〃が史跡として保存されています。
 さて無事に御生まれになった三皇子をお育てになるに母乳で足りない分を補うため一方ならぬ御苦心の程が伺われます。
 西都原よりわき出づる水を利用して狭名田と言う細長い田を作り、その田の稲(お米)で甘酒を造り、その甘酒を以て三人の皇子を御養育されたと伝えられています。都萬神社では今尚秋の大祭には必ず甘酒を神前にお供えしてお祭りをすることになっています。
 又『日本書紀』に木花開耶姫命「卜田を以て狭名田と曰う、その田の稲を以て天の甜酒を醸みて新嘗す、渟浪田の稲を用て飯に為しぎて新嘗す」とあります。是が地上における新嘗祭の起源ともなっています。甜酒美酒のことなりとあり、我国で始めてお米を以て造られたお酒の発祥地は西都市であり、木花開耶姫を祀る都萬神社であることが『日本書紀』により証明されています。都萬神社南西に当たる処に現に酒元と云う部落がありバス停留所もあります。
◎恋の願いが叶い良縁に恵まれる 特殊神事〃更衣祭〃(七月七日祭)
 都萬神社の更衣祭は日本のお祭りの中でも最も珍しい祭典行事であります。祭神木花開耶姫命が天孫瓊々杵尊に逢初川のお見逢いによって長狭神の媒介によりお嫁入りされる時の古事そのままの姿をおつくりする神事で、晴れの婚礼衣裳をサクヤ姫の御神像にお着せ申し、白粉や口紅をつけ角隠しの帽子をかぶせ、花嫁姿になられる有様を生でじかに行うゆかしい神事であります。この神事が我が国婚姻儀礼のハジメであると社伝にあります。当日は午後三時まで全く可愛らしい清らかな姿を御神殿正面に御遷座申し上げ、その間一般参拝者に拝観が許されます。良縁に恵まれ仕合せな結婚が出来た人。又良縁に恵まれたい人の参拝が多く、殊にお母さん方のお参りが多いのは母親の愛情から女性の守り神として崇敬が厚いからでありましょう。 青年男女のお参りは特に正月の年頭参拝は押すな押すなの盛況ぶりで最近は東京方面からの女性参拝も多くなっています。
 〃若草のつまのやしろは今も尚 昔を偲び花嫁つくる〃
 (神社パンフレットより)

  都萬神社案内
 この神社は天孫ニニギの尊の妃木花開耶姫を祀り都萬神社または妻萬宮と申します。祭神木花開耶姫はオオヤマズミの命の姫君でニニギの尊との御結婚にはコトカツクニカツナガサの神が媒酌をとりもち日本最初の正式な華燭の式典を挙げられました。
 故に古来からこの結婚の喜びにあやかりたいと崇敬の厚いお宮であります祭神木花開耶姫は青島神社のヒコホホデミの尊の母君鵜戸神宮のウガヤフキアエズの尊の祖母君にあたり宮崎神宮の神武天皇の曽祖母で日本民族の彌来をもたらせた国母神でありますから女性の守護神お産の神と敬い家内安全の祈願に参拝の多い神社であります。
 西都原御陵参考地の正面にある女狭穂塚はこの神社の祭神木花開耶姫の御陵とつたえられています。
 (境内案内板より)
参拝月日  11/25/2008



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一の鳥居 拝殿