御由緒 |
椿八幡宮由来の記
御祭神
・品陀別命 (第十五代應神天皇)
・息長足姫命(神功皇后・應神天皇御生母)
・武内宿祢命(神功皇后付き人)
神功皇后が新羅、百済、高句麗よりの帰途この地に立ち寄られ、その折り堅い木で作られた御剣(みつるぎ)の鍔を奉納され、日本の平和と繁栄を祈願された所と伝えられており、これにより「ツバキ」(椿)の名が起ったといわれています。
当社は、八九七年(寛平九年)勅命により当時九州の政治外交を司った大宰府政庁が創建し、穂波新宮と云われ、椿庄の惣社として氏子はもとより広く朝廷幕府の崇敬厚く、政庁の官人等も礼を尽くして参拝していたと云われています。これが「椿八幡宮」の起こりです。
その後、幾度かの再建、再興がなされ現在に至っていますが最盛時には穂波郡全村を管轄していたと言い伝えられています。
飯塚市教育委員会
(境内案内板より) |