御由緒 |
十日恵比須神社は天正十九年正月三日、香椎宮大宮司武内家隠居、五右衛門と申す者、香椎宮、筥崎宮に参拝し、浜辺通り潮先においてゆくりなく夫婦恵比須神の御尊像を拝し恐懼奉戴して自宅に奉斎せしが、これより武内五右衛門商売繁昌するに至り、いよいよ御神徳をかしこみ、翌文禄元年正月十日新社殿を営み、十日恵比須と称し祭祀を厳修す。
これより世人聞き伝え庶民の賽詣年と共に殷盛となり、天和元年には更に御社殿を荘麗にし、益々社運の隆昌を見る事と相成った。
更に明治四十年、広く崇敬者の浄財に依り御社殿の改築、同四十三年に閑院宮御台臨の建物を買収し、開運殿と名付け開運お座を開きしより御神徳を仰ぐ参拝者激増の一途をたどり、ついで昭和二十七年十月、御父神、大国主大神を出雲大社より勧請。昭和四十三年に宏大な現社殿を新築。同年七月神社本庁より「別表に揚げる神社」に加列相成り、現今西日本屈指のえびす祭りとして喧伝せられるに至った。
ちなみに当神社は急激に神徳の発揚、社運の隆昌を見るに至った神社であるが、その御例祭は郷土福岡市の正月、年中行事の隋一として全市を挙げて奉賛のまことを致し、庶民の
崇敬神社として関西一円の信仰を集めている。
(平成祭データ |