鎮座地 | 〒811-3304 福岡県福津市大字渡字御園975 |
電話 | |
旧社格等 | 村社 |
御祭神 | ・大己貴神 ・少彦名神 ・綿津見神 |
御由緒 | 楯崎神社 祭神は、大己貴神・綿津見神・少彦名神、相殿に飛龍権現(神功皇后のこと) 大楯崎神社縁起(文化14年)によれば、異賊が来たので、大己貴神と宗像姫大神が神軍を率いて、神霊の威光を振るい楯を立て鼓を鳴らして外敵を防いだ。楯崎、唐船、御手洗瀑布、五色浜、楢の葉浜の名はこれより起こったと云う。 宗像社記によれば、一説には神功皇后が三韓より帰られ船が着いた所を京泊といい、楯を蔵め置かれた地を楯崎山と云う。 楯崎山三所大権現略記(享保15年)によれば 桓武天皇(781~807)の御代に、最澄(伝教大師)が薬師・彌陀・観音の三仏を木に刻み三所大権現の御本尊とし、講堂を建てて「楯崎寺」とし、宗像大宮司清氏から氏貞79代に至るまで祭り事が行われた。2町歩の神田も与えられたが、天正15年豊臣関白が来た時、神田を没収され、以後寺は衰退の一途をたどった。 元禄年間(1688~1703)に寺の廃絶を嘆き、一祠を建て再び祭祀を行うようになり「楯崎権現社」として、明治5年村社になるまで続いた。 昭和28年6月の豪雨で、薬師神社のすぐ手前の平地にあった神社が傾いたので、現在地に再建した。 現在、祭りは元旦の歳旦祭と、4月15・16日のお薬師様をおこなう。 御利益は、神功皇后が三韓から帰られた時、平和を祈願するため楯と弦を切った弓を納められたことから、幼児のヒキツケ病除けの神様として昔から信仰が篤い。今でも弦のない弓を持ってお参りする。 (津屋崎郷土史会のホームページ 渡 探訪ー2より) |
参拝月日 | 05/28/2005 |