鎮座地 |
〒685-0017 島根県隠岐郡隠岐の島町下西713 旧隠岐国 周吉郡 |
電話 |
08512-2-0571 |
旧社格等 |
県社
隠岐國総社
式内社 隠岐國周吉郡 玉若酢命神社 |
御祭神 |
・玉若酢命
(合祀)
・大己貴命 ・須佐之男命 ・稻田姫命 ・事代主命 ・須世理毘賣命 |
御由緒 |
神社の由緒
玉若酢命を主祭神とし、大國主命、須佐之男命外二柱の姫神を配祀、勧請年代は詳でないが、式内社に列せられた古社である。
水若酢命と共に本島を開拓した隠岐の二祖神であると傅えられている。また神社名を総社と俗に称している。かつての隠岐國府の所在地で、明治初年頃まではこの地を総社村といった。これは王朝時代、國司が当國の総社として祭祀を執行した由緒によるものである。
本殿(隠岐造)県指定文化財
外形の特徴。屋根は大社造に似て妻入だが平面形は神明造に似て横長の短形である。向拝は前面いっぱいに片流についているが、その両端は春日造と違って大屋根と離れている。尚棟に雀躍(すずめおどり)と称する一本木をおき両端は鬼板より出て反っていて、隠岐にのみに存する独特の神社建築である。寛政五年建立(一七九三年)
例祭神事 御霊会(ごれえ)県指定無形文化財
六月五日例祭には八頭の神馬が出役する。隠岐國総社である為、地区ごとの産土神を神馬に奉遷して馳せ参ずると云う信仰によるもである。
安永八年(一七七九年)の神社記に、「往昔は四十八頭の神馬が馳参せるも今日八地区の八頭に止まる」とある。察するに当初は全島あげて祭礼に参加し、盛況を極めたものと思われる。
この地方に於ける大氏神の大祭に小氏神が馳せ参ずると云う神事は他には見られなく、風流にして貴重な存在である。依って県の無形文化財に指定する。(昭和四十年)
(拝殿内掲示板より)
文化財案内
一、重要文化財 玉若酢命神社三棟
[本殿・随神門・社家億岐家住宅・土地]
附(本殿棟札・普請文書・隋神門棟札・旧拝殿一棟・家相図・
社家億岐家住宅福神社一基・宅地)
(本殿) 天明7年(1787)棟梁鈴木儀八以下
13人の隠岐の工匠を中心に本建設を開始し、翌8年に概ね完成した。2年の中断後
寛政3年(1791)に工事を再開し、寛政5年(1793)に上棟したと普請文書が伝えて いる。
隠岐造りとも呼ばれている。
(随神門) 嘉永5年(1852)の建設である。
(億岐家住宅)享和元年(1801)の建設であり、社家住宅の特徴ある形式を伝えている。
一、重要文化財 隠岐国駅鈴(附 光格天皇御下賜唐櫓)
一、重要文化財 銅印「隠伎倉印」
一、国指定 天然記念物 八百杉
根もとの周囲約20m、胸高周囲約9.9m、高さ約30m
むかし数百年生きながらえたと伝えられる八百比丘尼が若狭より隠岐に渡り、当社に参拝した記念に植えた杉なので「八百杉」と云う。また、この杉の根元に大蛇が生息していたが、この蛇は寝たままついに根に包まれてしまい今でも周囲が静かなときには、大蛇のいびきの音が聞こえて来ると。
いろふりて雲をぞさそう仙人の
植えて幾世か杉の一本
(宝永二年 日置風水記)
一、県指定史跡 玉若酢命神社古墳群
一、県指定無形民俗文化財 玉若酢命神社御霊会風流
(六月五日祭礼・・・馬入れ神事)
平成六年三月 文化庁
島根県教育委員会
隠岐島後教育委員会
(境内案内板より)
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参拝月日 |
10/21/2008 |