御由緒 |
不詳、国史現在の旧社にして、古より元高良山地主神とす。社地は明治十年に定めらる。同六年三月十四日郷社に定めらる。
(福岡縣神社誌より)
高樹神社
祭神は高皇産霊神(造化の三神の一)。
古くは「高牟礼権現」と称し、高良山の地主神と伝えられる。
この神社はいわゆる国史現在社(正史=六国史に名の現れる神社)で、「三代実録」元慶二年(八七八)十一月十三日の条に「筑後国高樹神ニ従五位ヲ授ク」とあり、やがて正五位下に進んだことが、天慶七年(九四四)の「筑後国内神名帳」によって知られる。
もと地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、高良の神が神籠石を築いて結界(区画を定め出入を禁ずること)の地としたため山上にもどれず、ここに鎮座するに至ったという伝説が、高良大社の古縁起に見えている。高良山の別名を「高牟礼山」と称するのも、この神の名に因むものである。
明治六年(一八七三)三月十四日郷社に列し、大正十一年(一九二二)十一月二十四日神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭日 十二月十三日
(社前案内板より) |