鎮西大社 諏訪(すわ)神社               HOME blog

鎮座地 〒850-0006 長崎市上西山町18番15号(旧肥前国 彼杵郡) 
電話  095-824-0445
旧社格等  国幣中社 現別表神社
御祭神 主祭神 諏訪大神:建御名方神 八坂刀賣神

相殿神 森崎大神:伊邪那岐神 伊邪那美神
      住吉大神:上筒之男神 中筒之男神 底筒之男神
御由緒  当神社のご縁起は、かつて戦国時代にこの長崎はキリスト教のご領地となって、神社も寺も全部焼き払われて無くなっていたのを、今から約360年前の寛永2年(1624)に初代宮司青木賢清によってこの地に再興されたもので、徳川幕府の援助により鎮西無比の壮厳な社殿が造営された。
しかし、安政4年(1857)火災に遇い一部を残し殆ど消失したが、孝明天皇の思召しにより、明治2年に10年の歳月をかけて復元し、更に昭和59年御鎮座360年を記念し、昭和の大改修として造営されたのが現在の社殿である。

 宝物
長崎は江戸時代唯一の国際都市であるところから、外国人への示威もあり、幕府の援助により諏訪能太夫の下の最盛期には30名に及ぶ能役者が置かれ能が奉納された。これが長崎くんちの起源と称される。
その名残りとして多数の能面・能装束が伝わっており、長崎県有形民俗文化財に指定されている。
 また朝廷、幕府の崇敬厚く、元禄年間に霊元上皇御宸筆が下賜されており、歴代将軍家の朱印状を始め、法眼栄川の龍虎の図、勝海舟奉納の脇差、その他多数の書画、絵馬などがあり、異色なものとして我国近代印刷術の始祖本木昌造使用の字母活字がある。

 災難除け蛙岩
当神社の末社の玉園稲荷神社の横には、江戸時代よりしめ繩が張られ「霊石」として崇敬されている蛙に似た大岩がある。
 この大岩は、昔から「蛙岩」(どんくいわ)と呼ばれ、先年の長崎大水害の折りには、土砂崩れから社殿を守り、以後災難除けの蛙岩と信仰されている。
この蛙岩は「出した金またかえる。旅行に行っても無事かえる。病気になっても健康がかえる」等の願い事が叶うと言われている。
この蛙岩の陶製ミニチュアの「蛙守り」は、全国より手紙での申し込みがある等評判である。

 青銅神馬像
長崎出身の彫刻の大家、文化勲章受章者で「原爆祈念像」の製作者である故北村西望翁が百歳の時の日展出展作品で天皇陛下御在位60年を記念して奉納されたものである。

 高麗犬井(こま犬の井戸)・銭洗い狛犬
社殿が建つこの山は玉園山と言い、数百年を経た楠の木が主流で、種々の野鳥の宝庫となっている。
この山から湧き出る水は、昔から清浄水として尊ばれ、拝殿左後の「諏訪の七井戸」の1つ「こま犬の井戸」は、「銭洗い狛犬」の別名もあり、この井戸水でお金を洗うと倍増すると信じられ、更に安産にも霊験あらたかとも言われ、お茶用の水としても最適として訪ねる人が多い。

 珍しい狛犬各種
境内には、いろいろの変わった狛犬が置かれており、愛好家たちに評判である。止め事成就狛犬
斎庭にあり、昔から止め事成就に霊験ありと、狛犬の足にコヨリをしばり祈願する風習あり。禁酒、禁煙、受験すべり止め等参拝者多し。

 願掛け狛犬
狛犬を廻して願を掛けるもので、昔遊女達が、海が荒れて船乗りがもう1晩泊まって貰うことを願ったと伝えられている。

 カッパ狛犬
末社の蛭子社のある池は、昔から「河伯の井戸」とよばれカッパが住むと伝えられ、頭に皿のある狛犬が置かれている。水を掛けて祈る風習がある。

 トゲ抜き狛犬
心のトゲを抜いてくれるという大変コワーイ顔の狛犬である。

 病魔除け狛犬
長崎市史にも載っている難病・奇病除けの顔を掛けたと伝えられる。長坂大楠の日吉社前に置かれ、赤エイの絵馬を掛けて祈願する。

 文学碑
去来句碑

芭蕉の高弟の1人俳人去来は長崎出身であり、京に出て郷里の氏神の当神社を偲んで詠んだ「尊とさを京でかたるも諏訪の月」の句碑が参道に建てられている。

 山本健吉文学碑
長崎出身の文化勲章受章者である山本健吉の「母郷行」の文章が刻まれ、裏には井上靖のこう頒文がある。
その他境内には、下村ひろし句碑があり、隣の諏訪公園には、蜀山人、ピエルロチ、佐多稲子等の文学碑が点在する。

 陰陽石
正面参道の敷石には、男石と女石が幾何学的な紋様で埋め込まれており、この石を踏んで参詣し、最後に拝殿前の「四角に丸形の石」が両性の合体した姿と言われ、そこより参拝すると縁結びの願い事が叶うと言われている。
江戸時代にこんなスマートな事を考えたことは驚きですね。

 諏訪天満宮の合格満点凧(はた)
末社の諏訪天満宮の絵馬形の凧は、5角の形から受験合格、天満を逆に読んで「満点」と縁起を読んで、「合格満点凧」と呼ばれ、境内で連凧にして挙げて受験合格の祈願が行われることで有名。

 英文おみくじ
当神社の「英文おみくじ」は日本で最も古い歴史をもっており、明治時代に旧長崎高商(現在の長崎大学経済学部)の池辺賢太郎教授によってつくられたもので、国際都市長崎にふさわしいみくじである。
因に大吉は「ベストラック」、大凶は「ワースト」などなかなかユニークである。
以上
(平成祭データ)
参拝月日  02/03/2006

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                一の鳥居                                参道から大門(神門)            

 
         
                神馬から拝殿                                   本殿