「式内社」住吉大社(すみよしたいしゃ) HOME blog

鎮座地 〒558-0045 大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89 旧摂津国 住吉郡  
電話  06-6672-0753
旧社格等  宮幣大社(現別表神社)
  二十二社
  摂津國一の宮
  式内社 攝津國住吉郡 住吉坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗河内國一の宮
御祭神  ・底筒男命 ・中筒男命 ・表筒男命 ・息長足姫命  
御由緒   住吉大社の由緒
御祭神  

 第一本宮 底筒男命、第二本宮 中筒男命、第三本宮 表筒男命、三神を総称して住吉大神と申上げ、伊弉諾尊が檍原に祓除せられたとき、海の中より生れた神樣です。
 第四本宮) 息長足姫命 (神功皇后)

御鎮座
 
 神功皇后は、新羅御出兵に当って、住吉大神の御加護を得て大いに国威を輝かせられ、御凱旋の後、大神の御神託によって此の地に御鎮祭になりました。皇后摂政十一年辛卯年のことで、今から約一千八百年前のことでありました。皇后の御孫、仁徳天皇が浪速に遷都せられて墨江の津を開港せられ、後に大阪、堺の発展をもたらしましたのは、実に此の時に起因しております。
 後、皇后をも併せ御祀り申上げ、住吉四社大明神と崇められ、延喜の制では名神大社に列せられ、摂津国一の宮として聞え高く、昭和二十一年まで官幣大社でありまして、全国二千余に及ぶ住吉神社の総本宮です。

御神徳
 住吉大神は、禊祓の御神格をもって御出現になりましたので、禊祓の神であり、住吉祭は「おはらい」と呼ばれる程、神道で最も重要な「祓」のことを司る神です。また、住吉大神は、「吾が和魂をば宜しく大津の渟中倉の長峽に居さしむべし、便ち因りて往来ふ船を看護せむ」と神功皇后に御告げになった由が『日本書紀』住吉大社神代記に見え、海上安全の守護神であり、奈良時代、遣唐使の派遣には、必ず朝廷より奉幣があり、その海上無事を祈りました。
 そのほか歌神として、古来歌道の上達を志す人が当社に参篭献詠し、あるいは現実に姿を現される現人神としての信仰もあり、産業発展・文化・貿易の祖神と仰がれ住吉大神の広大な御神徳はあまねく世に知られています。

祭 祀
 住吉大社の夏祭り(住吉祭)は、ただ単に「おはらい」とも呼ばれ、国中の大祓を行うお祭りです。七月三十一日、御例祭に続き、午後一時より夏越大祓神事(大阪府指定無形文化財)が行われ、翌八月一日には堺宿院の頓宮に渡御があり、荒和大祓が行われております。
 そのほか、踏歌神事(一月四日)、白馬神事(一月七日)、御結鎮神事(一月十三日)、松苗神事(四月三日)、卯之葉神事(五月上卯日)、御田植神事(六月十四日・重要無形民俗文化財)、宝之市神事(十月十七日)等の神事があります。
 大社の祭祀は、一千七百年来連綿と続いていますが、中でも伊勢の神宮と同じく、二十年に一度の式年造替遷宮の制が、はやくも奈良時代より確実に実施せられていました。近世以降よりは、破損に従って修理する例となりましたが、遷宮の根本の制は今日にひきつがれ、来る平成二十三年は、御鎮座一千八百年に当たり、第四十九回式年遷宮が執り行われます。

御崇敬
 当社に対する御崇敬は頗る厚く、天武天皇の御奉幣をはじめ、御歴代天皇、皇族の行幸、御神宝の御奉納などあいつぎ、特に後村上天皇は、戦乱の世の前後九年間、当社に行在所をおかれました。また明治天皇は明治元年及び十年の両度御親拝され、昭和天皇も大正六年御参拝になり、昭和四十五年には昭和天皇、皇后両陛下御揃いで御親拝されました。
 初詣の参拝者は三が日で二五十万人に及び、一年を通じても家内安全・商売繁昌・初宮詣・七五三詣・交通安全・厄除など諸願成就の人が絶えません。

御社殿
 御社殿は、第一本宮より第三本宮まで縦に、第四本宮は第三本宮の横に並ぶという他に例を見ぬ縦ならびの配置で、各本宮とも御本殿は、「住吉造」と称せられる神社建築史上最古の特殊の様式で、いずれも国宝に指定されています。
 「住吉造」というのは、丹塗・桧皮葺・直線型妻入式で切妻の力強い直線をなした御屋根に置千木と五本の四角堅魚木を備え、周囲に回廊なく、板玉垣をめぐらし、さらにその外に荒忌垣があり、正面で「住吉鳥居」と称せられる特有の四角鳥居に接続しています。
 (神社パンフレット「住吉大社の由緒」より抜粋)

  住吉大社 大阪市住吉区住吉町
 旧 官幣大社(現、別表神社)。
第一本宮に底筒男命、第二本宮に中筒男命、第三本宮に表筒男命、第四本宮に息長足姫命 (神功皇后)を祀る。
 社殿は、第一本宮か ら第四本宮まであり、第一本宮を一番奥に、 手前に第二、第三と縦に並び、第四本宮は、 第三本宮の右横に並んで建っている。四殿ともに、神社建築の最も古い形式の一つ 「住吉造」であり、国宝に指定されている。 また四殿とも西(大阪湾の方向)を向いて 建っていることも見逃せない。
 『古事記』 (712)に「其の底筒之男命、中筒之男命、 上筒之男命三柱の神は、墨江の三前の大神なりと見えているが、当社の創祀は古く、 神功皇后新羅遠征の帰途に、箇男三神の神誨により、神功皇后が、三神の和魂を大津淳中倉長峡に鎮祭されたに始まる。
 延暦三年(784)正三位住吉神に勲三等を賜い、次 いで従二位、大同元年(806)従一位、後に正一位になった。
『延喜式』には「住吉坐神社四座」と記され、名神大社として、祈年・月次・相嘗・新嘗の案上の官幣及び祈雨、八十島祭に預かった。
 また二十二社の 一つに数えられ、摂津国一の宮として、上 下を間はず、篤い尊崇を受けた。特に天皇の行幸も、天武天皇以来数多く、鎌倉時代 以降は、将軍をはじめ、武家の崇敬も特に 篤かった。
 建久六年(1195)には、源頼朝、 神馬を奉納、楠木正成・足利尊氏・豊臣秀吉等は篤い崇敬者で、文禄三年(1594)、秀吉は社領を定め、秀頼は慶長一一年(1606) 片桐且元をして社殿を修造させた。
 江戸時代に入ってからも、徳川将軍以下諸大名の 尊崇篤く、参勤交代ごとに必ず当社に参拝 する大名が沢山あったという。明治維新の際、社領、社地の多くが上地された。
明治 四年(1871)七月一日に官幣大社に列格した。 昭和三六年には第四七回の式年遷座祭が行 われた。
 住吉の神は、特に海上安全の守護神として、また禊祓の神・歌神・現人神 仰などの神徳で、篤い崇敬を受け今日に至 っている。 以下略
(東京堂出版 ・神社辞典より)


 
参拝月日  08/18/2008

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住吉鳥居 第二本宮