住吉神社-豊北町(すみよし)                     HOME   blog 

鎮座地 〒759-5512 山口県下関市豊北町大字神田上5871 旧長門国 豊浦郡  
電話  
御祭神  ・底筒男命 (そこつつのおのみこと)
 ・中筒男命 (なかつつのおのみこと)
 ・表筒男命 (うわつつのおのみこと)
旧社格等   村社 
御由緒  奈良時代の養老三年(719)、国防上の見地から神田別府が置かれると共に、藤原範貞が宇佐八幡宮を勧請して、一 ノ宮神田別府八幡宮が創建された。
 その後、江戸時代の宝暦年間(1751~)、一ノ宮住吉大神と改められたと伝える。
明治三十九年(1906)、小村の氏神等の小祀を統合し、境内社別府神社に合祀する(旧村社)。

住吉神社 (現)豊北町大字神田上 根崎
 矢玉川の支流が集まる小盆地の北に鎮座し、参道には黒松の巨木がそびえ、社叢にはイチイガシの巨木や、サカキカズラ、イヌビワなどの珍しい植物が茂る。祭神は住吉三神で、八幡神を配祀する。旧村社       
 社伝では養老三年(719)藤原範貞が宇佐八幡宮(現大分県宇佐市)より勧請したと伝え、古くは神田八幡宮・神田別府八幡宮・一宮八幡宮などと称せられたが、宝暦年中(1751-64)に一宮住吉大神と改めたと伝える。
 「寺社由来」は寿永二年(1183)と永徳二年(1382)の銘のある宝鏡があるとし、応安元年(1368)および二年の文書を載せる。当神社蔵の永禄二年(1559)の文書には、石井宮内大夫が一宮と二宮(神功皇后神社)両社の大宮司職をつとめたとあり、天文二〇年(1551)から神田別府のうちに一〇〇石の地が与えられていたと記される。天正一二年(1584)には桑原吉左衛門尉春宅が太鼓を寄進、同一七年には一宮・二宮両社祭礼料として浮米七石が下された。また慶長一四年(1609)には鐘楼が造営された。この梵鐘について「注進案」には、「古老申伝に太閤朝鮮御陣に諸宮寺の鐘太鼓御用の節、此鐘をも御入用の為持去らんと致し候処、当社より八丁計平川村にて鐘ゐすわり動不申、仍て打拾置候処氏子の者弐人難なく取かへり奉納致し候由申伝候、今に鐘居峠と申す地有之候」と記す。この梵鐘は現存し、室町時代の作である。
    (略)       (『山口県の地名』平凡社刊より)
 (山口県神社誌)
参拝月日  08/25/2007

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             一の鳥居                                       拝殿