鎮座地 |
〒740-0017 山口県岩国市今津町6丁目12−23 旧周防国 玖珂郡 |
電話 |
0827-29-1122
|
御祭神 |
・應神天皇
・仲哀天皇
・神功皇后
(配祀)
・武内宿禰命 ・埴安姫命 ・事代主命 ・五男神 ・大山祇命
・金山彦命 ・少童神 ・素盞嗚尊 ・菅原道眞 |
旧社格等 |
郷社 |
御由緒 |
今より七百四十二年(平成四年より)前、建長二年一月、時の領主清縄左衛門尉良兼(今地氏遠祖)が、遠石八幡宮白鷺と化して室木に垂跡し給うと知り、氏族の繁栄と領内安民守護の神とし、今津琵琶首(いまづびわのくび)に八幡宮を創建奉斎され、後約百年を経て、貞和四年九月良兼息弘中堂内源兼胤(清縄を弘中と改姓)願主として、現在地白崎山に壮麗な社殿を造営、且つ社領を寄進して奉遷、旧岩国十七ケ庄の産土神と仰ぎ領民と共に深く尊崇されましたが、兵火に罹り、文亀三年完工、以後弘中三河守隆兼に至る迄代々弘中氏が大宮司を奉仕し、弘治元年三河守失却後、孫今地良房宮司を継承今日に至って居ます。
岩国初代藩主吉川廣家、慶長五年岩国に入封、慶長十六年社殿を改築すると共に社領を献じ、武運長久と国郡豊饒を祈願し歴代の藩主も亦八幡宮を尊崇し、庶民は、等しく産土神と仰ぎ加護を祈願崇拝し現在に至りました。
社殿は元和 万治 天和 宝永及び寛政と五回に亘り改修築され、現在の建物は明治十七年に神殿を、大正十年に拝殿を檜皮葺きで改築、昭和四十四年九月拝殿を、又昭和五十九年八月本殿を銅板葺きに、裏参道の改修がなされました。
以上
(平成祭データ)
沿革
◎建長二年(1250)鎌倉時代
時の領主清縄左衛門尉良兼(今地氏遠祖)が、遠石八幡宮の神が白鷺と化して室木(むろのき)に
垂跡し給うことと知った。そこで、氏族の繁栄と領内安民守護の神として、今津琵琶首(びわのくび)
八幡宮を創建奉斎した。
◎貞和四年(1348)南北朝時代
弘中堂内源兼胤(清縄を弘中と改姓)を願主として、現在地の白崎山に壮麗な社殿を造営し、
さらに社領をも寄進した。
こうして、岩国十七ケ圧の産土神として、領主領民から深く尊崇されることとなった。
◎明応五年(1496)戦国時代、兵火に躍り本殿が炎焼した。
◎明応七年(1498)、宝殿を修築。
◎文亀三年(1503)、舞殿・籠所などを弘中右衛門尉弘信が再建。
◎永正八年(1511)、楼門を建立。以後弘中三河守隆兼に至る迄、弘中氏が大宮司を奉仕し、
◎弘治元年(1555)、三河守失却後、孫今地良房(弘中を今地と改姓)が宮司職を継承し、
今地家が代々奉仕する。
◎慶長五年(1600)江戸時代に入ると、岩国初代藩主吉川広家が、に岩国に移封し、
◎慶長十六年(1611)社殿を再建する。
さらに社領を献上して、武運長久・国郡豊鏡を祈願する。歴代の藩主もまた八幡宮を尊崇し、
元和(1615〜)・万治(1658〜)・天和(1681〜)・宝永(1704〜)及び寛政(1789〜)と
五回に亘り、改修築を行う。
◎明治十七年(1884)本殿を、
◎大正十年(1921)に拝殿を、それぞれ桧皮葺で再建する。
◎明治四年(1871)郷社に列せられる。
◎昭和十六年(1941)、皇紀二六〇〇年記念事業として、結婚式披露宴場を兼ねた斎館・社務所を建築する。
(山口縣神社誌より)
|
参拝月日 |
11/24/2006 |