山王日吉神社(さんのうひよし)        HOME blog

鎮座地 〒852-8102 長崎市坂本2丁目6番56号 旧肥前国 彼杵郡  
電話  095-844-1415
旧社格等  県社  
御祭神  ・天照大御神 ・豐受比賣神 ・大山咋神
 ・大物主神 ・伊邪那岐神 ・高皇産靈神 ・天御中主神 ・神皇産靈神 ・大年神
 ・經津主神 ・健甕槌神
御由緒   山王神社御案内
 当神社は、島原の乱後、時の徳川幕府老中松平伊豆守信綱が此の地を通過せし際、近江の国琵琶湖岸の坂本に風景・地名共に酷似しているとて、かの地の山王日枝の山王権現を招祭してはとの進言により、長崎奉行・代官は寺町の真言宗延命寺の龍宣法印師に依頼し神社建立に着手した。当時は、神仏混合の習慣により延命寺の末寺として「白厳山観音院円福寺」と称して運営された。
 以後、幾度かの盛衰がありたるも地域の氏子の方々に守られて明治維新を迎え神仏分離令により、元来の神社に戻り「山王日吉神社」と改称し浦上地方の郷社となる。
 又明治元年、山里地区に皇太神宮が祭られたるも台風等の被害にで損壊し、再建や以後の運営も困難となり廃社を検討されるを知り氏子は山王社との合祭を願出て許可となり、明治十七年一月遷宮し以後「県社浦上皇太神宮」と称したるも地域では「山王さん」として親しまれ、又「浦上くんち」として大いに賑わってきた。
 不幸にも、昭和二十年の原爆の惨禍に直面し壊滅状態となりたるも数年を得ずして苦境の中から復興の声が上がり、昭和二十四年より祭典を復活し、以後社殿境内等も次第に復活された。
昭和六十三年(一九八八)神社創建より、三百五十年の記念すべき年に弊殿も再建して、ほぼ旧来の姿に近く再建し得た。
 原爆時の遺物としては、現在は世界的にも有名となった、参道の「石製片足鳥居」と境内入口にそびえる「楠の巨木」等が残り原爆の悲惨さと平和の有り難さ等を無言の内に語り掛けてくれる。・又、楠木は戦後の数年で発芽、次第に繁茂し現在の雄姿となり地域の人々に戦後の復興の意欲と活力を与えてくれた。
祭神
 正殿 天照皇太御神 豊受比買神 大山昨神
 左座 大物主神   伊邪那岐神 伊邪那美神
    高皇産霊神  神童産霊神 天御中主神 大年神
 右座 経津主神   健瓶槌神  御代御代皇御孫命
祭日
 毎月一日月例祭 正月元日初参り 二月三日節分祭
 六月一日小屋入り・厄払い    六月三十日夏越祭
 十月十七・十八日秋季大祭    十一月二十三日新嘗祭
                  浦上皇大神宮
                  山王日吉神社
 (社頭案内版より)

 沿革
寛永15年 (1638) 山王權現社創立
          大國主命、大山昨命、大年命を主祭神として奉祀した。
明治元年(1868) 山王日吉神社と改稱せられ、郷社となる。
明治元年(1868) 浦上皇大神宮創立 明治7年縣社
明治17年(1884) 浦上皇大神宮を日吉神社に遷宮し合併
          これより縣社浦上皇大神宮と稱する。        
昭和20年(1945)8月9日 原爆で壊滅的被害を受ける。
昭和63年(1988) ほぼ旧来の姿に再建
 
参拝月日  02/03/2006

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境内入口 拝殿