御由緒 |
日向國 橘之 小戸神社
御祭神
当社は我国の本崇と仰ぐ伊勢の神宮(内宮)の御祭神 天照皇大神の親神様伊弉諾大神を祀る
主祭神 伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)
合祀祭神 天照皇大神・大己貴大神・素盞鳴大神・奇稲田姫大神を始めとする十柱の神々
御由緒
「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。
小戸神社は、旧称を「小戸大明神」といい約一九〇〇年前の景行天皇の勅により創建と伝わる。
都於郡城主、伊東祐尭が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。
また「小戸さま」として親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄天正年間の相次ぐ戦乱により宝物・旧記等を失い、さらに寛文二年(一六六二年)西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。
しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合「小戸の瀬」は、小戸神社御創建の清浄地として祀られ、
港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く
と今なお夏祭りの夏越歌に脈々と歌い継がれている。
寛文三年(一六六三年)に上野邑(現上野町)に遷座する。その後も古社として崇拝をあつめ、享保三年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け、社殿が再興されている。
明治維新後に「小戸神社」と改称。昭和九年(一九三四年)、橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現社地へ遷座し現在に至る。
実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は宮崎はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。
祓詞
掛けまくも畏き伊弉諾大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓へ給ひし時に
生り坐せる祓戸の大神等
諸々の禍事罪穢有らむをば
祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと
恐み恐みも白す
伊弉諾大神が身禊をされた「小戸」の地に由緒深き詞である
祓詞は奏上することによりおのずと罪穢れを祓い清める畏き詞として現在も日本全国の神社において必ず奏上されている
(社頭由緒掲示板より)
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