御由緒 |
御祭神は毛利敬親および毛利元徳です。
敬親は毛利藩十三代の藩主で幕末維新の時に藩士を指揮して近代国家の成立に努力し、明治四年に山口でなくなりました。
元徳は敬親の養子で幕末維新の時には父敬親を補佐し明治二十九年に亡くなりました。
社宝として、重要文化財の太刀(銘助友)のほか毛利家伝来の能衣装、甲冑など貴重なものがたくさんあります
(境内案内板 より)
野田神社は明治維新の元勲正一位毛利敬親公を祭神とし、その御子従一位毛利元徳公を配祀す。
明治六年九月二十五日防長二州士民の懇願により敬親公の霊を豊栄神社境内別殿祀り忠正社と称す。
明治九年十月二十七日地名により野田神社と改称、同日県社に列せらる。
同十九年三月十六日今の地元社殿を造営す。明治三十一年十一月十五日元徳公を合祀す。
大正四年十一月十日別格官幣社に列せらる。依て大正五年五月一日接摂社芳宜園神社を創立して元徳公の霊を分祀す。
昭和十一年十二月六日元徳公四十式年に当り其の勲功を賞せられ別格官幣社野田神社に配祀せらる。
終戦後社格の廃止により官幣社の処遇停止せる。
(平成祭データ) |