野田神社、豊栄(とよさか)神社            HOME blog 

 野田神社

鎮座地 〒753-0091 山口県山口市天花1丁目1−2 (大字上宇野令832)  
電話  083-922-0666  
旧社格等  別格官幣社  
御祭神 ・毛利敬親(明治維新の元勲)
(配祀)
・毛利元徳(敬親の養子
御由緒  御祭神は毛利敬親および毛利元徳です。
敬親は毛利藩十三代の藩主で幕末維新の時に藩士を指揮して近代国家の成立に努力し、明治四年に山口でなくなりました。
元徳は敬親の養子で幕末維新の時には父敬親を補佐し明治二十九年に亡くなりました。
社宝として、重要文化財の太刀(銘助友)のほか毛利家伝来の能衣装、甲冑など貴重なものがたくさんあります
 (境内案内板 より)

野田神社は明治維新の元勲正一位毛利敬親公を祭神とし、その御子従一位毛利元徳公を配祀す。
明治六年九月二十五日防長二州士民の懇願により敬親公の霊を豊栄神社境内別殿祀り忠正社と称す。
明治九年十月二十七日地名により野田神社と改称、同日県社に列せらる。
同十九年三月十六日今の地元社殿を造営す。明治三十一年十一月十五日元徳公を合祀す。
大正四年十一月十日別格官幣社に列せらる。依て大正五年五月一日接摂社芳宜園神社を創立して元徳公の霊を分祀す。
 昭和十一年十二月六日元徳公四十式年に当り其の勲功を賞せられ別格官幣社野田神社に配祀せらる。
終戦後社格の廃止により官幣社の処遇停止せる。
 (平成祭データ)
参拝月日  08/21/2004

2社共通の鳥居

社務所も2社共通

参道から神門


神門から拝殿

幣殿

拝殿、幣殿

絵馬堂

豊栄神社

鎮座地 〒753-0091 山口県山口市天花1丁目1−2 (大字上宇野令831)   
電話  083-922-0666  
旧社格等  別格官幣社  
御祭神 ・毛利元就
御由緒 御祭神は毛利氏中興の祖毛利元就です。
元就は安芸国の吉田の出身で、戦国時代に中国地方八カ国を治めた大名で、吉田で亡くなり墓もそこにあります。
毛利輝元が萩城に移った時、城の内に社を建てて元就の霊を祀っていましたが、明治二年山口に移されました。この年に朝廷から元就の神霊に対し、豊栄の神号を賜りました。
社宝として、重要文化財毛利元就画像があります。
 (境内案内板 より)

豊栄神社は贈正一位毛利元就公を祭神とす。
当神社の淵源を尋ぬれば元就公の孫中納言輝言慶長後念安芸広島城より長門国阿武郡萩城に移らるるに及び元就公の霊を同処江向村鎮座春日神社内に祀る
同十二年三月同社を城内三ノ郭に遷され、輝元八代の孫重就宝暦十二年二ノ郭鎮座官知の土地神社を改造し、元就公の霊を春日神社より茲に遷し毛利氏の始祖天穂日命と共に合祀す。
 明和七年九月該社に仰徳大明神の合を受く。
明治二年二月三日 明治天皇は元就公勤皇を深く御追感あそばれ特に豊栄の神号を直下あり永世祭祀すべき旨仰出さる。同十月三日山口多賀神社境内に仮殿を造営し萩仰徳社より元就公の神霊を茲に遷座す。
 尚同年正月九日には国家興隆御祈誓の叡慮を勅使岩倉大納言具視を御差遣御剣一口を納めらる。同四年三月二十日山口市野田七尾山麓の地を卜して現社殿を造営し、同年十二月九日多賀神社仮殿より遷座す。
 (平成祭データ)
参拝月日  08/21/2004

鳥居

参道から神門

神門から拝殿

幣殿

拝殿、幣殿

2社共通の造り、配置になっている。

本殿

百万一心の碑
元就は、郡山城増築の際、一致協力の訓を垂れた「百万一心」の文字を彫った石を人柱に代えて埋めたと言われています

狛犬