「式内社」丹生都比売神社(にうつひめ) HOME blog

鎮座地 〒649-7141 和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野230 旧紀伊国 伊都郡  
電話  0736-26-0102
旧社格等  官幣大社 (現別表神社)
 紀伊國一の宮
 式内社 紀伊國伊都郡 丹生都比女神社 名神大 月次新嘗   
御祭神  ・丹生都比賣大神
 ・高野御子大神
 ・大食都比賣大神
 ・市杵嶋比賣大神  
御由緒   丹生都比売神社
 御祭神
第一殿 丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ) (丹生明神)
第二殿 高野御子大神 (たかのみこのおおかみ) (狩場明神)
第三殿 大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)(気比明神)
第四殿 市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)(厳島明神)

若宮  行勝上人(ぎょうしょうしょうにん)
境内社 佐波神社(さわじんじゃ)

 御由緒
  紀ノ川より紀伊山地に入り標高四五〇メートルの盆地天野に当社が創建されたのは古く、今から千七百年前のことと伝えられなす。天平時代に書かれた祝詞である「丹生大明神告門」によれば、丹生都比売大神は天照大神神の御妹神様で、稚日女尊(わかひるめのみこと)とも申し上げ、紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州、大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。
 また、『播磨国風土記』によれば、神功皇后の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戰勝することが出来またため、これに感謝し、応神天皇が社殿と広大な土地を神領として寄進されたとあります。
 御祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、『魏志倭人伝』には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。丹生都比売大神は、この地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。全国に丹生神社は八十八社、丹生都比売を祀る神社は百八社、摂末社を入れると百八十社余を数え、当社はその総本社であります。
 丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師空海の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山をを開きました。これ以降、古くからの日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されてゆきました。
 中世、当社の周囲には、数多くの堂塔が建てられ、明治の神仏分離まで当社は五十六人の神主と僧侶で守られてきました。
また、高野山参詣の表参道である町石道の中間にある二つ鳥居は、神社の境内の入口で、 まず当社に参拝した後に高野山に登ることが慣習でした。
 鎌倉時代には、行勝上人により、気比神宮から大食都比売大神、厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、社殿が北条政子により寄進され、本殿が四殿となり、このころから舞楽法会が明治のはじめまで盛んに行われます。現存する本殿は室町時代に復興され、朱塗りに彫刻と彩色を施した壮麗なもので、一間社春日造では日本一の規模を誇り、楼門とともに重要文化財に指定されています。
 尚、平成十六年七月「紀伊山地の霊場と参詣道」の丹生都比売神社境内として世界遺産へ登録されました。
   (神社パンフレットより)
 
参拝のしおり
 丹生都比売大神は天照大神の御妹神で別名稚日女尊(わかひるめのみこと)と申します。織物の祖神と言われ、御子の高野御子と共に大和地方を巡歴され、農耕殖産を教え導かれこの地に鎮座されました。
神功皇后に協力された功績で応神天皇より紀ノ川以南の広大な地を神領として与えられました。その後も皇室の御崇敬は厚く延喜の制で名神大社に列せられ、大正13年官弊大社になりました。
 それ故社宝には、国宝や重文も多く保存されています。古くは弘法大師が当社の側に曼陀羅院を建立し、その後神白、神黒、2匹の犬の導きで高野山に真言密教の道場を開き、
以来当社は高野山の守護神として崇拝されています。
 第3、4殿には鎌倉時代の初め行勝上人により、敦賀の気比神宮、安芸の厳島神社を勧請され、4柱の神を各殿にお祀りして以来4社明神とも呼ばれてお導きの神として参詣者が絶えません。
当社の特殊神事の1月14日の御田祭、4月22日の花盛祭及び渡御の儀は平安時代の古式そのままに行われています。
  以上
    (平成祭りデータ)
参拝月日  08/19/2008

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楼門 本殿