御由緒 |
丹生川上神社下社
御祭神
闇靇神(クラオカミの神)
御神徳
万物生成化育の根源たる、水を主宰遊ばされ、地球上のありとあらゆる物象の上に、はかり知れない恩恵を垂れ給い守護あらせられる。
御例祭
六月の一日(秋の大祭は十月十四日)
御社格
延喜式の名神大社、元官幣大社。
御本殿
総檜の流れ造り、屋根銅板葺きで建坪七・三一坪。
御神域
約五千坪樹令五百年の老杉をはじめ、槻、樫、椎等の巨樹を以て覆われ森厳そのもので身心共に浄まる。
由緒沿革の概要
御祭神は、いざなぎ、いざなみの大神のみ子神であらせられ、天武天皇の白鳳四年に「人聲ノ聞エザル深山ニ吾ガ宮柱ヲ立テテ敬祀セバ天下ノタメニ甘雨ヲ降ラシ霖雨を止メム」との御神誨に因り創立された古社であるから、歴朝の御尊崇極めて篤く、續日本紀に「天平宝字七年五月庚午丹生川上ノ神ニハ帛幣(へいはく)ノ外特ニ黒毛ノ馬ヲ奉ル」と見え、この後は祈雨には黒馬を、祈晴には白馬を幣帛に添えて献ずることを恒例と遊ばされて居り、醍醐天皇の延喜の制では名神(ミョウジン)大社として案上の官幣に預かり、ついで二十二社の一(全国の大社中の特別尊貴な神社)に列し給い明治の新政に及ぶ。また別に神階正一位に進ませられ、爾後たびたびの奉幣をお続けになり、孝明天皇は安政元年に「外患惧服、国家清平」の御祈祷を仰せつけられ(御綸旨現存)文久二年には畏くも銀二十枚、米三十石を御下賜相成り(御沙汰書現存)続いて明治天皇もその四年に官幣大社に御治定仰せ出だされ、初代大宮司に松岡尚嘉を小宮司に江藤正澄を補佐せられて以来昭和二十一年までお使いとして高官を参向せしめて、大祭、臨時大祭を厳重に斎行されて来たが、その後神社制度の変革に依り宗教法人の神社となって今日に及んでいる。
(神社パンフレットより抜粋)
|