鎮座地 |
〒753-0023 山口県山口市三の宮2丁目6-22 旧周防国 吉敷郡 |
電話 |
083-923-0342 |
旧社格等 |
式内社 周防國吉敷郡 仁壁神社
周防三ノ宮
県社 |
御祭神 |
・下照姫命 (右殿) ・表筒男命 中筒男命 底筒男命(中殿)
・味耜高彦根命(左殿)
(配祀)
・神産日神 ・高御産日神 ・玉積産日神 ・神生産神 ・足産日神 ・大宮賣神 ・御食津神 ・事代主神 |
御由緒 |
仁壁神社
山口市三の宮二丁目二一三六番地
仁壁神社の創建年月は不明であるが、文徳実録・三代実録などの正史や延喜式神名帳にその名が見える古社である。
長治元年(1104年)宮の前の旧地から現地へ遷座したという。古くから周防三の宮と呼ばれている。
明応六年(1497年)大内義與は九州の戦陣から帰り、五社参拝をした。五社とは、防府右田の玉祖神社・徳地の出雲神社・この仁壁神社・さらに吉敷の赤田神社・大歳の朝田神社をいう。この参拝の順に一の宮、二の宮……というふうに呼んでいる。
永徳一二年(1569年)大内輝弘の乱の時焼失したが、程なく毛利輝元によって再興された。その後正徳二年(1712年)にまた焼失したので、享保五年(1720年)重建された。現在の社殿がそれである。
なお、当神社には「慶長十三年二月吉日新見作」という刻名の獅子頭がある。慶長十三年は江戸時代初期(1608年)にあたり、山口市の有形文化財に指定されている。
山口県教育委員会
山口市教育委員会
(境内案内板より)
仁壁神社(にかべじんじゃ) 〔通称さんのみやさま〕
祭神
(主祭神)表筒男命 中筒男命 底筒男命 味鉏高彦根命 下照姫命
(配祀神)瑞珠殿(神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神
・御食津神・事代主神)
七房入麿社・七房疫神社・金古曾恵比須神社・桜畠御森殿・麻森大明神
(天保十四年迄に配祀した)
宮野上大迫末社大年神社(大年神)
宮野上石丸末社綿津見神社(豊玉彦命・豊玉姫命・須佐男命)
宮野上金山末社須賀神社(須佐男命)
宮野上大山路末社岡原神社(菅原道真公・天穂日命)
(以上四社明治四十一年政府指令の神社整理により配祀した)
上金古曽末社須賀神社(須佐男命)
(大正七年火災により配祀した)
由緒沿革
社伝によると、大和時代の崇神天皇の御代にまでさかのぼることができる。しかし文献『文徳実録』には、社格として平安時代の嘉祥三年(850)従五位に、貞観九年(867)に従四位下に昇叙された記録を見ることが出来る。『延喜式神名帳』(927)にも、「周防國吉敷郡の小一社」と記載されている。
鎌倉時代の建久六年(1195)の『周防国宮野荘立券文』に、宮野庄仁戸の社(仁壁)に神領のあった事がうかがえる。室町時代の永禄十二年(1569)、大内輝弘の山口動乱により社殿が焼失した。
しかし毛利輝元により、安土桃山時代の天正十二年(1584)に再建され、江戸時代の元禄十二年(1699)、境内神社として瑞珠殿を建立したが、正徳二年(1712)、再度火災により焼失した。しかし享保五年(1720)、毛利吉元により重建されたという。
藩主毛利氏歴代の崇敬は厚く、祈祷・幣帛料の寄進も多かった。
明治六年(1873)に県社に列せられる。
(山口縣神社誌より)
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参拝月日 |
03/12/2008 |