琉球国一の宮 沖縄総鎮守 波上宮(なみのうえぐう)

鎮座地 900-0031 沖縄県那覇市若狭1-25-11  
電話  098-868-3697 
旧社格等  官幣小社
 琉球国一の宮  
御祭神 ・伊弉册尊(いざなみのみこと) 主神
(配祀)
・速玉男尊 (はやたまをのみこと) 左神座
・事解男尊(ことさかをのみこと) 右神座
御由緒  当宮の創始年は不詳であるが、遥か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。
 波上宮の御鎮座伝説に[往昔、南風原村に崎山の里主なる者があって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な「ものを言う石」を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。
この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。この事を知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて波上山(現在の波上宮御鎮座地で花城とも呼んだ)に至った時に神託があった。
即ち「吾は熊野権現也この地に社を建てまつれ、然らば国家を鎮護すべし」と。そこで里主はこのことを王府に奏上して社殿を建てて篤くまつった]と言う。以来、中国、南方、朝鮮、大和などとの交易(琉球王府直轄事業)基地であった那覇港の出船入船は、波上宮の鎮座する高い崖と神殿を望み、出船は神に航路の平安を祈り、入船は航海無事の感謝を捧げた。
 また人々は常に豊漁、豊穣を祈り琉球王府の信仰も深く、王みづから毎年正月には列を整え参拝し、国家の平安と繁栄を祈るなど朝野をあげての崇敬をあつめ、琉球八社(官社)の制が設けられるや当宮をその第一に位せしめ、「当国第一の神社」と尊崇された。
 明治の御代になるや、同二三年官弊小社に列格し、沖縄総鎮守としてふさわしい社殿、境域の結構を見るに至ったが、先の大戦で被災した。琉球朝野のあつい崇敬を受けて沖縄総鎮守の神として御神威は古今を通じて高く、海外貿易の海上交通、豊漁、豊穣、諸産業の振興を守護され、又身近には厄除、安産、家内安全、病気平癒の信仰は古昔よりあつく、近年は結婚式、建築関係諸祭祈願、商売繁昌、受験合格祈願、初宮詣、交通安全祈願等、諸願成就の神として神徳著しく、正に「守礼の邦」沖縄の永世泰平の守護を戴く御神徳である。

略年表、
正平二三年(一三六八)頼重法印が当宮の別当寺として護国寺を建て王の祈願所とする。
大永二年(一五二二)倭僧日秀上人、当宮を再興。慶長十年(一六〇五)倭僧袋中上人が「琉球神道記」  の中に「 当国第一の神社」と記す。
元和九年(一六二三)「おもろ草紙」巻十が完成。歌中に御造宮の様子あり。
寛永十年(一六三三)社殿炎上。同十二年再興。
享和三年(一八〇三)社殿大破。それまでの三殿を一殿に改め三戸前として改築。
明治二三年(一八九〇)官弊小社に列格す。御鎮座告祭式を行う(現、例大祭日)。
昭和十年(一九三五)御再興三百年祭を行う。同十三年頃にかけ神苑の整備なさる。
昭和二十年(一九四五)戦火激しく、御神体を奉じ安原宮司、摩文仁に避難。
昭和二七年(一九五二)上原宮司復興に着手。本土、ハワイに呼掛け推進。翌年本殿、社務所を再建。
 鎮座祭を行う。(三六年拝殿を再建)
昭和四七年(一九七二)本土復帰を迎え、沖縄復帰奉告祭を行う。皇室より玉串料を賜る。
昭和六二年(一九八七)旧社務所並び参集所を撤去し、社務所を新築。
平成二年(一九九〇)平成御大典記念に第一鳥居を改築。

 (平成祭データ)
参拝月日  02/09/2004

鳥居から
参道を

石段の参道

参道の鳥居

社殿

先の大戦で被災し
本殿は
昭和28年(1953)
拝殿は
昭和36年(1961)
再建された

現在の本殿、拝殿
は平成5年(1993)
平成の御造営完成

本殿

南国らしい樹木

赤瓦、丹塗り、白亜の壁と南国の社らしい色彩

断崖の上にたつ
社殿

社殿の下の海
公園になっている

海の波に洗われた
断崖

モノレール県庁前駅

那覇空港
琉球舞踊の実演