御由緒 |
宮砥八幡社(通称宮砥荒神様)
創建 持統天皇八年八月十五日(六九四)
祭神 八幡大神(應神天皇神霊)相殿奉祀 建速須佐之男命
祭日 元旦祭 一月三日 神幸祭 旧八月十五日
祈年祭 三月十五日 新嘗祭 十二月十一日
病除大袚祭 旧六月二十八日
御神徳 疫病退除、家内安全、交通安全
往時流行病発生せば、直入郡、大野郡、岡城内に悪疫鎮護の為御巡幸を行っていた。
由緒
此の地を鬼原と謂ひ、樹木繁茂に昼尚暗く、鬼様のもの棲み、屢々村里に出て里人を害す。大伴金麻呂この状を朝廷に奏上す。持統天皇、宇佐八幡に祈願し鬼様のもの退除鎮護のため宇佐八幡を勧請を勅す。これにより里人の危害全く熄み、住民安堵す。よってこの宮を勅願の宮と謂う。
社地は小黒山雄亀の丘、社号は、当初は鬼原神社、中古宮砥宮、後宮砥神社、健速須佐之男命は創建時より配祭せられたと古老は伝う。
祠職
創建と同時に宇佐家より宇佐宿祢祠職に就き代々之を継ぐ。宇佐公熈に至り豊後国守大友氏と相容れず断絶す。文明三年(一四七二)相馬盛貞之大夫に任じ従五位下に叙され宇佐氏の一跡を継ぎ直入郡七十二社の総管となり今日に至る。
(社頭案内板より)
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