御由緒 |
由緒
神功皇后二年(二〇二)創建、社記・伝説によれば第十四代仲哀天皇は熊襲征伐に当り、橿日宮の本陣より此の地に軍を進められ大保の里が白州で清浄であったので天神地祇を祀り仮陣地とし軍を指揮された。
偶々近臣を従え志気を鼓舞するため戦線を廻られた折、敵の毒矢に当られて此の地にて崩御された。皇后は時恰も激戦中で志気の沮喪をおそれ深く秘して仮に御殯葬申し上げた。
熊襲征伐後軍を纏めて御崩御を布告し、御霊柩を橿日宮に移して発喪された。その後三韓征伐に於て御魂代の石を軍船に乗せ、その石に仲哀天皇の御鎧及び兜を着せて征途につかれ、戦勝御凱旋されて、その石を天皇の御魂代として、大保の郷の殯葬の地に宮柱太敷立て斉き祀られ御勢大霊石と崇められた。
今、社前にある石がこれで御剣・御衣も納められ御本體所と称する。御勢は夫にて皇后よりの尊親の称である。
境内末社
○粟島神社 (又の名淡島神社)
御祭神 少彦名命 例祭九月十三日
創建は不詳であるが和歌山市加太に鎮まります御分霊を当地に勧請する。
御祭神は医薬の祖神であり、殊に婦人の平癒、安産、子授け等、又交通、航海安全の守護神として崇められる。
○成末神社
御祭神 御勢大霊石大神荒御魂
無格社成末神社として龍頭内に祭祀されたのを明治四十一年六月十六日合祀許可のうえ移築。
○秋葉神社(又の名愛宕神社)
御祭神 火之加冥土神
〇牛天神社
御祭神 保食大神
由緒御創建は不詳であるが、別名宇迦之御魂神と云うも「ウ力」「ウケ」は古くから食物を意味し、稲は食物の中心であり、 生命元である。
○恵比須神社
○猿田彦神社
境外末社
○白鳥神社
父君の神霊白鳥と化し天に昇り、願くは白鳥を得て陵域の池に養はむ。当社も是を模して池を造り白鳥を飼いし所なり。総称 して、白鳥島と言伝へたり。現在は年一度の御神幸は途絶えているが古苗は例大祭の御神幸の下宮として使われし所也。
その他
勅使御館之跡
社頭を距つる事五丁程成亥の方にあり。勅使下向の折招請の御館を造った処である。
御祭礼日
一月一日 歳旦祭
二月 初午節分祭
二月六日 粥占い祭
四月十五日 石祭
七月三十一日 大祓、茅輪神事、獅子舞、夏祭
~ハ月二日
九月十三日 粟島神社例祭
十一月十五日 七五三祭
十二月十四日 例大祭
以上
平成十一年吉日
御勢大霊石神社
(神社パンフレットより抜粋) |