御由緒 |
神社の由緒
当神社は、水祖神社(ミオヤジンジャ)と称し祭神はミズハノメノカミとなっています。
水祖神社は一般的には川や水源地等水を司る神様としてお祀りされてあります。
その昔、隠岐島周辺では海賊が出没し、住民は日々脅威をおぼえ、不幸な生活を送っていました。又、国境の島と して国防上の重重なところでしたので、朝廷から特に高官が派遣され、沿岸の治安、航海の安全に心配りをされ、カをそそぎました。その高官の中に非常に功績があり、帰京することなくここで生涯を終えられたお方があり、その人の名はわからなくなりましたが、海岸の丸いきれいな石を積上げ、古墳として遺徳を偲び神様としてお祀りしたものであります。他の水祖神社とは全く異なった神様であります。
このお宮に合祀されている天満宮は、大昔、中條地区八尾川上流沿いの小さな祠に菅原道真公を祀った天神社がありましたが、ある年たいへんな大水が出ました。山のように積まれていましたすくもやわら束が一度に押し流されこの水祖神社の境内にたくさん流れ着きました。不思議なことに、その中から網に入った天神様が現れました。氏子たちはおそれおおいことと早速水祖神社に合祀しました。
この神社の森の裾野は満潮時には浅瀬となり、潮が引くと陸地になるので、その有様を水の原(ミノハラ)といい、ここに現れた天神様ですので、「みのはらの天神」と呼びました。
尼子家忠臣 山中鹿之助幸盛が隠岐國府尾城主 佐々木為清に援軍を求めて来島したとき、主家尼子家再興を祈願に、水祖神社へ参詣したと傅えられています。
祭礼については、西町・港町の熊野神社・大川神社・東山神社・松尾神社・御崎神社・国府尾神社・水祖神社の七杜が参加し、当番神社を定め、地区住民が会同で祭礼を行っております。神社の例祭日の毎年七月二十五日・二十六日に、川祭りといって八尾川の安全厄除け祈願の行事から御輿を出して、お旅祭りで町内の渡御式を行い、今日に至っております。
(境内由緒掲示板より) |