鎮座地 |
〒650-0011 兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1 旧摂津国 八部郡 |
電話 |
078-371-0001 |
旧社格等 |
別格官幣社(現別表神社) |
御祭神 |
・楠木正成
(配祀)
・楠木正行 楠木正季 菊池武吉 江田高次 伊藤義和 箕浦朝房 岡田友治 矢尾正春 和田正隆
・神宮寺正師 橋本正員 富田正武 惠美正遠 河原正次 宇佐美正安 三石行隆 安西正光 南江正忠 |
御由緒 |
湊川神社
所在地 神戸市中央区多聞通三丁目一番一号
御祭神 (主神)楠木正成公(大楠公)
(配祀)楠木正行卿(小楠公)及び湊川の戦で殉節された
楠木正季卿以下御一族十六柱並びに菊池武吉卿
摂社 甘南備神社(御祭神、大桶公夫人)
境内神社 楠本稲荷神社(御祭神、倉稲魂命・猿田彦命・大宮女命))
菊水天満神社(御祭神、菅原道真公)
由緒
大桶公は、元弘元年(1331年)九月に後醍醐天皇の命に従い挙兵、やがて鎌倉幕府を崩壊に導き、「建武中興」に大きな功績をあげられた。
しかし、謀反により一時九州へ敗走した足利高氏の大軍を、大桶公は、ここ溝川で迎撃、激戦の末、延元元年(1336年)五月二十五日、弟正季卿と「七生報国」を誓って刺交し、殉節を遂げられた。
その後御墓所は、豊臣秀吉検地の際、免租地とされ、江戸時代初期には摂津尼崎藩主・青山幸利公によって松と梅が植えられ、五輪の供養塔も建てられた。更に元禄五年(1692年)、水戸光圀公(義公)によって、墓碑「鳴呼忠臣楠子之墓」が建立、大桶公の御盛徳が天下に顕彰された。
これはより、大楠公景仰の気運が愈々高まり、やがて維新回天への力強い精神的指導力となった。
そうした幕末から維新にかけて、尊崇して已まない大桶公、その御神霊を奉斎したいという国民運動が盛んになり、明治元年(1868年)四月、明治天皇は、神社創紀の御沙汰書を下された。
よって明治五年(1872年)五月二十四日、社名を「湊川神社」とし、初めての別格官幣社に列せられ、同日錬座祭、翌二十五日楠公祭が斎行されて、ここに湊川神社が創建された。
御盛徳
大桶公は、智・仁・勇の三徳を備える非常な人格者で、聖人とも仰がれた武将であった。
大桶公の忠誠と正義とを以て貫かれた精神は、楠氏一族子孫に至るまで受け継がれ、日本史上これほど偉大な影響を後世に及ぼした人はない、と言われるほど、その後の国民に大きな感化を与えたのであった。
祭日
楠公祭 五月二十四日(宵宮祭)二十五日(本祭)二十六日(翌日祭)
例祭 七月十二日 その他各月恒例祭あり
国の指定史蹟
「楠木正成戦没地」(大桶公卿殉節地)、境内西北隅
「楠木正成墓碑」(大桶公卿墓所)、境内東南隅
湊川神社社務所
(社頭由緒掲示板より) |
参拝月日 |
08/23/2008 |