「式内社」
国造
(こくぞう)
神社
鎮座地
〒869-2601 熊本県阿蘇市一の宮町手野2110 旧肥後国 阿蘇郡
電話
0967-22-4077
旧社格等
式内社 肥後國阿蘇郡 國造神社
県社
御祭神
・速瓶玉命
・雨宮媛命
・高橋神
・火宮神
御由緒
国造神社由緒略記
御祭神
(四座)
一ノ宮 国造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)
(官社)神武天皇の御孫神建磐龍命(阿蘇神社主神)の御子神で阿蘇国造大神と称す。
二ノ宮 雨宮媛命(あめみやのひめのみこと)
一ノ宮の妃神、蒲池媛神で海神の女神とも云う。
三ノ宮 高橋神(たかはしのかみ)
一ノ宮の第二御子
四ノ宮 火宮神(ひのみやがみ)(日宮神)
一ノ宮の第三御子
由緒・沿革
御主神国造速瓶玉命(はやみかたまのみこと)は、肥後一ノ宮阿蘇神社の主神健磐龍命(たけいわたつのみこと)の第一の御子神にして、延喜の制式内宮(官社)に列せられて、阿蘇神社と同格の御社であり。父神健磐龍命の聖業を嗣がれ、阿蘇の開拓に水利にと国土開発の大業をなされ、庶民に農耕を教え畜産に植林に万幸を与え衆庶を愛撫し、人徳を施された。
この御聖徳と御功業により、第十代崇神天皇の朝に、阿蘇初代国造と定められ、同十八年(紀元五八一年)御子惟人命(彦御子神)に勅せられて、阿蘇国造の神として、御居住の地(現在地)を卜して鎮祭せられ、茲に、二、〇〇〇年以上の歴史ある古いお社である。
此の間上歴朝の尊崇はもとより、下万民の敬仰する所で、国司、藩司の崇敬も亦篤く、中世以降に於いても肥後の大守細川氏も阿蘇神社と共に造営に、祭典に、代々藩費を供進せられ、現在の社殿は寛文十二年、細川五代綱利公の御造営のものである。
古来、農神としての信仰厚く、五穀豊穣に晴を祈り、雨を乞ひ、又害虫消除に頗る霊験新かであり、近郷近在より其の時折に祈願参拝も多く、近年には阿蘇の古名社として、遠来よりの参拝も沢になりゆき之大神の偉大なる御恩頼を渇仰する故に外ならない。
明治七年十月には県社に列せられた。
(社務所案内板より)
境内社地と神域
国立公園阿蘇の外輪山の東北隅なる内壁の幽すいの地にして、数十株の古杉は森々と神寂びて神々しく、別けて「手野の神杉」は、亭々として高く雲表に聳え、社前を流るゝ宮川は、水あくまで清く、後方(北側)は外輪山の連峰を廻らし、前方(南面)は美田開けて遥かに雄大なる阿蘇の五岳を一望に納め、附近には古墳点在して、風致最良く、春、夏、秋、冬夫々の趣あり。
神代杉(手野の大杉)
この杉は、国造速瓶玉命御手植の神杉と伝えられ、陰、陽の二株あったが、その大なる一株は、文政の頃、火災に罹り、焼失した。(現在は一株であるが、この地方の人々は今でも二本杉と呼んでいる)この杉は特に香気があり、肌は沈木の如くありて、友隆大宮司の時、畏くも桜町天皇の御笏の料として献上され、その後御桃園天皇の御時に、和香木の名を定められ、此の杉を阿蘇香と命じられたと伝えられる。
国指定天然記念物(大正十三年十二月内務省指定)。
以上
(平成祭データ)
註:神代杉(手野の大杉)は平成3年9月の台風19号により倒れ、現在は残った1部が大切に保存されています。
参拝月日
11/04/2006
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一の鳥居 本殿