北野天満宮(福岡県久留米市北野町)                    HOME

鎮座地 〒830-1113 福岡県久留米市北野町中3267    
電話  0942-78-2140
御祭神 ・菅原道真
・高良玉垂大神
・住吉大神
御由緒  北野天満宮は、菅原道真公を祀った神社で、その創立は、天喜二年後冷泉天皇の御感夢により当地を選び、関白藤原道隆の孫貞仙僧上に勅して、宝殿九間に五間、拝殿十一間に九間の社殿を造営され、社殿の廻りには、七千五ケ所の末社と二十八ケ所の社寺家があり、領田は一千町歩に及び、京都北野天満宮の代官所として華麗を誘った。
 その後源平の争乱で社殿は破壊されたが、源頼義、頼朝が社殿を寄進し、足利義満の代になると筑後一円を荘園として認められ、この地方の人々には年貢、兵役、人夫等の課税を免ぜられる。
 戦国時代、兵火に見まわれ社殿は全焼したが、永正五年山本郡吉永の城主藤原重永によって再建された。
その後天正十五年豊臣秀吉九州征伐の時、一時社領は没収されたが、承応三年(一六五四年)久留米藩主有馬瓊林が社殿を改築し、明和年間楼門が潤色され池や橋の造営により、今日の天満宮の景観ができた。以来、学業成就並びにひきつけふうじの祈願所として近郷からの参詣者が絶えなかった。
 現在、神社の境内には、樹齢九百年の大楠(天然記念物)が茂り、慶長鳥居(県文化財)が古色蒼然たる趣きを添え、江戸時代に寄進された、撫牛、灯篭、鳥居、狛犬等立並び、信仰厚かった往時が偲ばれる。又鰐口、天満縁起三巻(県文化財)及び、足利義満将軍の御教書を始め、南北朝時代から江戸時代中期にかけての古文書、後陽成天皇の御真筆、書画等が現在保存されている。
 毎年執り行なわれる十月の御神幸祭の行列(県文化財)は、古い伝統を誇り人のよく知るところである。
以上
 (平成祭データ)
注:天喜二年(1054年)
参拝月日  11/29/04

参道入り口の鳥居

参道
天満宮らしい朱塗りの橋

石造鳥居
肥前鳥居と呼ばれ
慶長年間に造られた。


注連縄

楼門

天喜2年(1054)
後冷泉天皇の
勅令により創建


京都北野天満宮の
ご分霊を祀る
その後この地を
北野と称する。

楼門から拝殿

先の台風により被災
初詣に間に合うよう
修復工事中


社殿
創建後数度崩壊している
まずは源平の騒乱にて破壊。
その後源頼義、頼朝が社殿を寄進した。
その後戦国時代にも戦火に焼失。

山本郡吉永の
城主藤原重永に
よって再建。
豊臣秀吉の
九州征伐時に没収され。

1654年、久留米藩主
有馬瓊林が社殿を改築

他の天満宮と同様に
子供たちの
書道の展示がある。

境内社
2月から3月には
白梅、紅梅、杏等が
咲き乱れる。

大楠
福岡県指定文化財
根元周囲:22.0m
樹高:17.5m
樹齢:1000年(推定)