「式内社」霧島岑神社(きりしまみね) HOME blog

鎮座地 〒886-0004 宮崎県小林市大字細野4937 旧日向国 諸県郡   
電話  
旧社格等  県社
式内社 日向國諸縣郡 霧嶋神社
御祭神  ・瓊々杵命
 ・木花咲耶姫命
 ・彦火火出見命
 ・豐玉姫命
 ・鵜鵜草葺不合命
 ・玉依姫命
御由緒  往古霧島岑神社は高千穂峰の中腹瀬戸尾の高地に鎮座され、祭神は瓊々杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊、豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊、玉依姫命の六柱の神々である。
 承和四年(八三七)日向国諸県郡霧島岑神は官社に預かり、のち従五位上を授けられる(続日本後記)
天安二年(八五八)従四位下に叙せられ(三代実録)とあり、延喜式神名帳には日向国式内四座の一つであると記されている。
 天慶天暦(十世紀)の頃性空上人が霧島岑神社に参篭の折、山麓四方に夷守神社外四社を創建し、本社である霧島岑神社(別名霧島中央権現)を合わせて霧島六社権現と称した。
 天永三年(一一一二)韓国岳噴火、仁安二年(一一六七)大幡山噴火し相次いで神殿を焼失したが、その都度元の地に再建された。文暦元年(一二三四)には至近の火常峯(御鉢)が噴火し社殿は焼失、この地に湧いていた「天の井」も涸れたので末社の霧辺王子神社の辺に遷座され、その地を新瀬戸尾と称した。
 その地に座すこと四八〇余年、享保元年(一七一六)新燃岳の噴火により社殿は焼失、御神体は今坊権現に奉遷、次いで細野村岡原に遷座されたが、新瀬戸尾の地は全く荒廃したので、享保十四年(一七二九)夷守岳中腹に社殿を再建し、明治初頭まで鎮座された。その地を今だに築地という。
 明治五年(一八七二)県社に列せられ、翌六年細野村に合祀の世論起こり夷守神社を先ず本社の岑神社に合祀した上で、改めて旧夷守神社跡地(現在地)に霧島岑神社を奉造して今日に至る。
 (平成祭データ) 
参拝月日  11/27/2008



写真をクリックしてくださいフォトアルバムに移動します。
一の鳥居 社殿全景