御由緒 |
当八幡社の社記によりますと、この地方の人々が、景行天皇熊襲ご征討の折、城原方面へ軍をすすめて、ご巡幸になり、その時の行宮の跡を尊び、応神天皇幸卯二年(二七一)に、一祠を造営して天皇の御霊を斎きまって皇恩に報いたのに始まるといわれています。(現在の社地松原がその行宮の跡と伝えられています)
「日本書紀」巻第七(景行天皇)には、景行天皇十二年(八二)、天皇に叛いて朝貢しなかった熊襲征討のことが記されています。
その後、文徳天皇の天安二年(八五八)、二月神境内の礎村の景樹の地に八幡宮降臨の霊瑞があって時の国司石川朝臣宗継をして、殿宇を造営、八幡宮を配祀させたといわれています。このことは「大友興廃記」第一巻直入郡城原八幡由来にも記されています。この霊瑞の跡は、今も近くの宮久保の社地に「八幡大神降臨の地」の碑が建てられて残っています。
(平成祭データ) |