御由緒 |
香取神宮御由緒
鎮座地 千葉県香取市香取
御祭神 経津主大神 (フツヌシノオオカミ)(又の御名伊波比主命(イハヒヌシノミコト))
御事歴
大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島の大神と共に出雲国の大国主命と御交渉の結果、円満裡に国土
を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸して荒振る神々を御平定され、日本建国の基を御築きになり、又東国開拓の大業を完遂せられて、平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕わされた。
御神徳
古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、特に「神宮」の御称号を以て奉祀され、名神大
社として下総国の一の宮である。明治以後の社格制では官幣大社に列せられ、その後勅祭杜に治定せられて
今日に至っている。
奈良の春日大社、宮城の鹽竃神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり、
昔からの伊勢の上参宮に対し下参宮と云われ、広く上下の尊崇をあつめて居る。又、一般からは産業(農業
・商工業)指導の神、海上守護の神或は心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されている。尚その武徳
は平和、外交の祖神と敬われ、勝運の神、交通安全の神、災難除けの神として有名である。
御社殿
宮柱の創建は神武天皇御字十八年なる由香取古文書に記されている。
去る昭和三十三年四月御鎮座二千六百年祭が盛儀を以って斎行せられた。古くは伊勢神宮と同様式年御造営
の制度により、御本殿を二十年毎に造替されたのであるが現在の御社殿(本殿・楼門・祈祷殿)は元禄十三
年(西暦一七〇〇年)徳川綱吉の造営に依るものである。昭和十五年国費により拝殿の改修と共に御本殿以
下各社殿を御修営し、その後昭和五十二年から三年の歳月を懸けて御屋根葺替・漆塗替が行われた。
構造は本殿(重要文化財)、中殿、拝殿相連れる所謂権現造である。
境内
香取の神域は大槻郷亀甲山と呼ばれ県の天然記念物に指定され、その面積は一二三、〇〇〇平方米
(約三万七千余坪)で他に境外社有地がある。神城内は老杉欝蒼として森厳の気自ら襟を正さしめる。
香取神宮略年表
神武天皇18年 社殿創立。(正和五年香取古文書)
舒明天皇03年(631) はじめて神領地を定む。(緑園風土記)
聖武天皇天平04年(733) 天下大早天析雨、社号を改め神宮号とする。
延暦20年(801) 坂上田村麻呂参拝。この年征夷大将軍に任せらる。
陸奥地方平定の際参拝したと思われる。
弘仁03年06月(812) 御社殿造替。(日本後紀) 二十年ごとに爾後改めてつくる。
延喜05年(905) 延喜式制定さる。
延喜式神名帳下総國香取神宮名神大月次新嘗とあり当時伊勢の皇大神宮の
外に神宮の称号は香取、鹿島のみであった。更に香取郡を神郡となし二十
年に一度の式年遷宮の制を定めらる。
永承年間(1046) 源頼義参拝。天下泰平杜頭繁栄子孫長久を祈ったといわれる。三本杉現存。
治承05年(1181) 源頼朝神領寄進、下福田郷。古文書現存。
応安07年02月10日(1374) 室町将軍教書。(香取古文書) 御社殿御造営の事。
天正19年11月(1591) 徳川家康神領地千石寄進。
慶長12年(1607) 御社殿御造営。元亀二年より中間三十七年徳川執政のはじめ。
貞享元年03月(1684) 水戸光圀参拝。桜御手植 (楼門前に黄門桜あり)
元禄13年(1700) 御社殿御造替、五代将軍綱吉、それ以後昭和十三年まで二百三十九年間
大造営はなし。
嘉永06年11月(1853) 孝明天皇米船浦賀に渡来につき退散祈祷仰せつけられる。
明治04年05月14日(1871) 官幣大社列格。
明治44年05月(1911) 大正天皇御参拝。松をお手植、楼門内にあり。
昭和04年08月(1929) 拝殿御屋根替。
昭和15年(1940) 神祇院直轄にて御社殿以下建造物大改修工事。
昭和17年01月(1924) 勅祭杜御治定。以後昭和二十三年まで毎年勅使参向。
昭和33年04月(1958) 御鎮座2600年祭、岸総理大臣 太刀(備前利恒銘)一口奉納
昭和40年11月(1965) 楼門、宝物殿、神饌殿、手水舎、総門 銅版による屋根替完了
昭和52年(1977) 御本殿重文指定。
昭和58年12月(1983) 楼門重文指定。
平成04年11月(1992) 今上陛下・皇后陛下御親拝。
平成13年04月(2001) 拝殿・幣殿・神饌所登録有形文化財指定。
平成14年04月(2002) 式年神幸祭・勅使参向。
(神社パンフレットより抜粋) |