春日神社
(かすが)
鎮座地
〒870-0031 大分県大分市勢家町4丁目6-87 旧豊後国 大分郡
電話
097-532-5638
旧社格等
県社 現別表神社
御祭神
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武甕槌命
(たけみかづちのみこと)
国譲りで大国主命の子健御名方神に勝ち、国譲りをなし逐げた神。
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經津主命
(ふつぬしのみこと)
経津は剣の切る勢いを示し、勇武をあらわしている。災難徐けの神でもある。
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天津兒屋根命
(あまつこやねのみこと)藤原氏の祖神
常に国政に参与して、国土経営に大きく貢献した。祭祀を司る。
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姫大神
(ひめおおかみ)
天津児屋根命のお妃。寶滿大神
御由緒
天平年中(729年)、市川某(豊後国分寺の開基石川氏なるか)が南都三笠山より勧請し奉ったとも、又清和天皇の御宇貞観二年(860年)三月、国司藤原朝臣世数が勅を奉じて、奈良春日大社の四所大神を勧請したとも伝えられ、一千一、二百年余の歴史を有する古社である。
建久七年(1196年)、大友能直が当国に封ぜられてより、二十二代三百五十八年間居城府内の総廟として、厚く崇敬し、特に二代親秀は、社領八十貫を奉献する等歴代の守護職、藩主等は、年々の祭祀料は申すまでもなく、しばしば社領を奉り又社殿の修復を行ってきた。因に大友親秀の奉献した社領菖蕪田、忌垣田、相撲田は今尚小字名などとなって語り伝えられている。
慶長十二年(1607年)、藩主竹中重利は江戸参勤の帰途、播磨灘に於て暴風雨のため危機にさらされたが遙かに春日宮に祈請して無事に帰還し得たので、境内に松拾万本を植えて奉賽した。当時の広大なりし境域を偲ぶことができる。
当社は創祀以来二度の戦災のために社殿はことごとく炎上し、又貴重なる社宝、記録等をも亡失した。第一回は天正十二年(1584年)、島津軍の府内入城の際であり、次は昭和二十年七月、大東亜戦争の末期、アメリカ空軍の焼夷爆撃によるものである。
現社殿は氏子崇敬者の浄財寄付金等を以って再建し、昭和四十二年十月十八日、遷座祭を斎行した。
尚、当社は旧県社であったが、昭和四十三年七月一日、別表神社に昇格した。
(神門、春日神社略記より)
参拝月日
08/10/2007
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一の鳥居 拝殿