御由緒 |
金鑚神社
北武名勝史蹟案内しおり
武蔵二宮金鑽神社 神川町大字二宮鎮座 神社境内は八町うち一町半が神体林で木柵がまわっている。
拝殿切妻流造、祝詞舎中門があり、義家橋、駒つなぎ石、義家旗掛銀杏がある。景行天皇四十一年日本武尊東征の折、御姨倭比姫命より賜った火鑽金火打石を御室山に収めて天照大神素盞嗚命二柱を奉斎し、尊は欽明天皇の御時配祀された。
貞観四年官社に列せられ、延喜式内名神大社に列した。九郷用水守護児玉党五十六族の鎮守であり、徳川時代朱印三十石、明治十八年四月官幣中社に列格した。
勅使参向六回、社宝には義家奉納の琵琶二面がある。
(平成祭データ)
金鑚神社(かなさなじんじゃ)
所在地 児玉郡神川村二の宮
金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社である。むかしは武蔵国二の宮とも称された。地名の二の宮はこれによっている。
社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まりとされている。
鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代には徳川幕府から御朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。
境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の遺跡”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋”などがある。
なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。
昭和五十九年三月 神川町
(境内案内板より)
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