御由緒 |
神倉神社
御祭神
高倉下命(たかくらじのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
例祭 二月六日夜
御灯祭りと言う古儀の特殊神事として名高い。
白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけて急坂(源頼朝公御寄進の鎌倉式石段)を馳下る壮観な火祭りである。
御由緒
熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。
熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地、熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
御祭神高倉下命は建国の功臣、熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業漁業の守護神として御神徳が高い。
(社頭由緒掲示板より)
紀伊山地の霊場と参詣道 史跡熊野三山(権現山)
KumanoSanzan(Gongenyama)
市内西方にそびえる権現山(神倉山)は、神が降臨する神体山として崇められてきました。 主峰は千穂ケ峰(253m)で「鎮護ヶ峰」とも記されたように神仏が鎮まり守護してくれる山です。
古くから熊野速玉大社の神降臨の神域として重要でした。権現山の南、高さ100m近い断崖絶壁には神倉神社があり「天磐盾」(あまのいわたて)とみなされてきました。また、ここには神が鎮座する磐座(いわくら)があり「ゴトビキ岩」と呼ばれています。
古来から霊域として、また修験者の行場として栄えてきたことがわかります。
毎年2月6日の夜に行われる御燈祭りは、白装束に身を包んで、538段の急な石段を駆け下る勇壮な火祭りで、新年の聖なる神火をいただくという、原始信仰を今に伝える儀式でもあります。
(参道入口案内板より)
天磐盾(あめのいわたて)
神武天皇紀(日本書紀)には戌午年(ぼごのとし)(紀元前三年)六月(みなづき)に狭野(佐野)を越えて「熊野神邑(くまのみわのむら)に到り、旦(すなわち)天磐盾に登りて」と記しています。
紀元二千六百五十年(平成二年)を奉祝して神武天皇聖蹟である熊野神邑(新宮の古称)の天磐盾(神倉山)の顕彰碑を神倉神社奉賛会が奉献し、文字は鈴木江邨氏が謹書されています。
平成二年二月十一日 建国記念の日
熊野速玉大社摂社 神倉神社
(参道入口案内板より)
神倉神社
和歌山県新宮市磐盾。熊野速玉大社の摂社。文正六年(?)、 神倉山上に小社を造営。 大正二年(一九一三) 二月五日遷座。
祭神高倉下命は、神武東征 に韴霊神剣を天神の命により持ち下った。 社殿裏に接してゴトビキ岩という巨岩があ り、『書紀』の天磐盾をこれに充てる説も ある。
『紀南響導記』に神倉山は魔所なので申の刻以後は参らないと伝う。六月一八日扇立祭、二月六日御燈祭という松明をともして急坂の参道を駆けおりる行事がある。
(菅居)
(神社辞典・東京堂出版より)
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