「式内社」賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ) HOME blog

鎮座地 〒603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339 旧山城国 愛宕郡  
電話  075-781-0011
旧社格等  宮幣大社(現別表神社)
   山城國一宮 二十二社
   式内社 山城國愛宕郡 賀茂別雷神社 亦若雷 名神大 月次相嘗新嘗
   勅祭社
御祭神  賀茂別雷神  
御由緒 御由緒
 神代の昔、本殿の北々西にある秀峰神山に御降臨になり、天武天皇の御代(六七八年)に現在の御殿の基が整えられた。御鎮座になった。御鎮座以来広く人々の信仰を集め、歴代皇室の御崇敬は特に篤く、行幸啓も数多くあり、国家の重大事には必ず奉幣、御祈願があった。
 「延喜式」では名神大社に列し、のち山城国一ノ宮として尊崇され、明治以後終戦まで、官幣大社として伊勢の神宮に次ぐ、全国神社の筆頭に位した。  

社殿(建造物)と境内
 御祭神を祀る本殿と常設の仮殿である権殿が東西に並び建ち、共に文久三年(一八六三) 造替で「流造」の典型として国宝に指定さ れている。
その他の御殿は概ね寛永五年(一六二八)の造替でその 殆どが重要文化財に指定されており、平安時代の佇まいを残すところから境内全域が平成六年に世界文化遺産に登録された。
 また、二ノ鳥居を入った正面の立砂は神山を象ったもので、頂に松の葉が立てられ、陰と陽の一対になっている。

◆神話
 上賀茂神社は京都で最も古い社といわれ、その起源は遥か二六〇〇年以上前に遡る。
賀茂神話によると、太古の昔山城国(現在の京都)に移り住んだ賀茂一族の姫・ 賀茂玉依比売命が川で身を清めていると、上流より天降りし丹塗矢が流れて来 た。
その矢を持ち帰った賀茂玉依比売命が床に祀り休まれたところ、 御神霊の 力を享け御子を授かった。
  御子が元服したとき、祖父である一族の長・賀茂建角身命が多くの神々を招き祝宴を催し、その席で「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と申され、盃を渡した ところ、御子は「我が父は天津神なり」と答えられ、雷鳴と共に、そのまま天に昇られたと記されており、再び会いたいと乞い願っていた賀茂玉依比売命の夢枕にある夜、御子が顕われ「吾れに逢はんとには、馬に鈴を掛けて走らせ、葵楓の蘰を造り、厳しく飾りて吾れを待たば来む」 との神託があり、その言葉に従 い神迎の祭をしたところ天より神として御降臨されたと伝わる。 この御子神が賀茂別雷大神である。
  (神社パンフレットH26.07より)

 山城国一ノ宮
賀茂別雷神社(上賀茂神社)
御祭神 賀茂別雷大神
御神徳
  厄除 雷の御神威により厄を祓い、災を除き給う厄除明神として広く信仰されている。
  方除 京都の鬼門の守り神として、方除の信仰が篤い。
主な祭典
 賀茂祭(葵祭) 五月十五日 例祭
  古く欽明天皇(六世紀)の御代より始まる。現在も皇室より勅使を御差遣になり祭が行われる。その行列は 王朝   絵巻を見るが如く優雅で、総勢五百名、列の長さ八百米に及ぶ。京都三大祭の一つ。
 競馬会神事   五月五日
  当神社は競馬発祥の地と言われ、堀川天皇の御代(十一世紀)より殊に盛んとなり今日まで連綿として 続いてい  る。京都市登録無形文化財。
 夏越祓     六月三十日
  茅ノ輪をくぐり、人形を流して罪穢を祓い清め、無事で健康な生活を祈願する行事。
   風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりけり 藤原家隆
   と百人一首にも詠われているように、当神社の夏越祓は鎌倉時代すでに有名であった。
 からす相撲    九月九日
  神事役がからす鳴き、からすの横飛びなどして、童子が相撲をして神覧に供する珍しい行事。京都市登録無形文  化財。
      (楼門前案内板)

 
参拝月日  08/22/2008

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二の鳥居 細殿