「式内社」竈山神社(かまやま) HOME blog

鎮座地 〒641-0004 和歌山県和歌山市和田438 旧紀伊国 名草郡  
電話  073-471-1457
旧社格等  官幣大社(現別表神社)
 式内社 紀伊國名草郡 竈山神社
御祭神  ・彦五瀬命
 
御由緒  御祭神
(本殿)彦五瀬命
(左脇殿)神日本磐余彦命、御毛入沼命、稲飯命
(右脇殿)高倉下命、可美眞手命、天日方竒日方命、天種子命、天富命、道臣命、大久米命、椎根津彦命、頭八咫烏命

このお社は彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)を祭ります。命は第一代神武天皇の兄君で、大和平定の途中戦傷、雄水門(ヲノミナト)で亡くなられ竈山(カマヤマ)に葬られました。今から千年程前の国の法律である延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡 竈山神社」とあり、古くから官幣に与る皇室御崇敬の大社でありました。
しかるに、天正十三年豊臣秀吉が根来寺を伐った時の兵禍により、社地社領を没収され、社殿を始め宝物・古文書など一切を失ひましたが、寛文九年和歌山城主徳川頼宣が再建、歴代の尊崇を捧げました。
 明治十八年四月二十二日官幣中社に列せられ、大正四年十一月十日官幣大社に昇格、昭和十三年には国費及び崇敬者の献資を以て、社殿を造営し境内を拡張して現状となつてゐます。大東亜戦争は、人種的差別の撤俳に近づき、東亜諸国の独立といふ大目的を遂げた点で成功と申せませうが、我国自体は敗戦の惨苦を具さになめさせられました。「身を殺して仁をなす」とはこの事です。日本の国のあけぼのに、五瀬命のお示しになつたのもこの事です。
 寛政六年の冬、本居宣長はこの社に詣で
「をたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ」
と詠まれました。竈山の岩根に鎮まります御神霊は、この日本の基礎であると共に、永久に世界の安定と発展とをお守り下さることでせう。
(竈山神社御由緒書より)

竈山神社(かまやま じんじゃ) 和歌山市和田。旧官幣大社(現、別表神社)。
 『神武即位前紀』 によれば、神武天皇の長兄五瀬命が、東征に際し、胆駒山を越えて、中つ国に入ろうとして孔舎衛(くさえ)の坂で長髄彦の軍と会戦した。このとき流矢にあたり、進路をかえて茅淳(ちぬ)の山城の水門から紀伊国竈山に至ってついに薨じた。そこで竈山に葬った、というのである。従って、祭神を彦五瀬命(ひこいつせのみこと)としている。 字南和田の西に釜山という岩山があり、この丘の形状が釜に似ている。 この山に五瀬命の竈山墓があり、その南麓に神社が鎮座する。 延喜の制、小社に列し、『紀伊国神名帳』に従四位上とみえる。例祭一〇月一三日。 『諸陵式』に「竈山墓、 彦五瀬命、在ニ紀伊国名草郡、北域東西一町、南北二町、守戸三烟」とある。
(岩切)
     (1997年 東京堂出版 神社辞典 102頁)

参拝月日  08/19/2008

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境内入口の鳥居 拝殿