御由緒 |
御祭神は神武天皇の御聖母玉依姫命であります。命は、海神の女で鵜鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の妃となり五瀬命・神武天皇等四柱の御子を産まれた後御子の教養と建国の大業に心をくだきこの竃門山に登られて祈念されたと伝えられる。
降って天智天皇の御代大宰府政庁(都府樓)建立に当たり竃門山は鬼門にあたるので勅使を派遣して厳かに祭祀を行い大宰府政庁の守護神とされた。
ついで天武天皇白鳳2年(673年)神殿を創建されたのが当神社のはじまりで以来皇室の御信仰も篤く延喜式神名帳に名神大社にに列するとあり白川天皇の御代から九州二島の神と崇められました。
戦国時代に入って社殿は度々の兵火に焼かれましたが黒田長政が筑前藩主となって再築されました。
明治維新後は村社となっていましたが明治26年官小社に昇格して昭和20年まで社格を保ってきました。
お社は上宮・下宮に分かれ上宮は宝満山々頂(830米)の大盤石の上に鎮座されています。
下宮の御社殿は昭和初年に造営され現在に至っています。
古歌に「春は萌え秋は焦がるるかまどやま霞も霧もけぶりとぞみる」清原元輔と歌われ多くの歌人達に詠まれている名山である。
以上
(平成祭データ) |