還熊八幡(かえりぐまはちまん)神社            HOME   blog 

鎮座地 〒791-8013 愛媛県松山市山越3丁目3−2 旧伊予国 和気郡  
電話  089-924-8084
御祭神  ・品田和気命(ほんだわけのみこと)    応神天皇
 ・帯中彦命(たらしなかひこのみこと)   仲哀天皇
 ・息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后
 ・迦具都知命(かぐつちのみこと)    
旧社格等  村社  
御由緒  貞観年間(平安時代)京都の石清水八幡宮より勧請(神の分霊を移して祭ること)当時の領主河野氏が崇敬したという。
 天正十八年胸肩宮(宗像三女神)矢取宮(長寛年間源爲朝が此の地で弓術の奥儀を悟った時、神祠を建て五十猛命を祭り矢取宮と称したと伝えられる)を合祀した。
その他京都の祇園社、天満宮も合祀してある。
 慶長五年松前城主加藤嘉明が関ケ原の戦に出陣した留守に毛利勢が河野の遺臣らと共に三津浜に攻め来り還熊八幡神社にも立てこもった。嘉明の家臣、佃十成がこれを撃滅したがその時の兵火によって神殿は焼失し、旧記、宝物も失った。その社殿は今の所より北の山上篠原にあった。
 慶長六年加藤嘉明が松山築城にあたり、社殿を現在の地に移して再建し八社八幡の一社として崇敬した。江戸参勤の際には幣帛 (神前への供え物)を奉り道中安全を祈願したと伝えられる。
 明治になっても軍人の家族等、帰還を祈願する参拝者は絶えなかった。
以上
 (平成祭データ)
参拝月日  10/07/2006

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               一の鳥居                                    拝殿