式内社 周防二の宮 出雲神社(いずも)    HOME  blog

鎮座地 〒747-0231 山口県山口市徳地堀3572 旧周防国 佐波郡  
電話  0835-52-0365
旧社格等  式内社 周防國佐波郡 出雲神社2座
 周防二ノ宮
 県社  
御祭神  ・大己貴命
 ・事代主命
御由緒    神社一覧
一、神社名 出雲神社
一、位置  山口県山口市徳地堀三五七二番地
一、祭神  大己貴命       縁結び、開運、農耕
           治世・福徳
      事代主命       商工業、医薬
一、由緒
  •  本神社は周防国二宮としてその起源は古く、大古出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮祭したものと考えられます。
     鎮座は元正天皇の霊亀元年(715)と伝えられ、聖武天皇の天平九年(737)周防国二宮として勅許を受け、奈良時代の周防国正税帳にも、その神戸・神田の奉納の記述が見受けられます。
     平安時代初期の延喜式神名帳(927)に、周防国出雲神社二座として式内に勅撰されました。
  • 以降、延喜式内社として、摂政藤原氏をはじめ大内・毛利氏等歴代の領主、藩主の祈願所として厚い崇敬のもとに、徳地地方の総氏神として営繕護持されてまいりました。
     明治三十三年旧県社に列格、第二次大戦後も大古より受け継がれた氏子崇敬者の伝統的敬神崇祖の念は厚く、当地方はもとより県内でも稀有の古社として現在に至っております。
一、祭日  
   元旦祭           節分祭
   春祭(四月第三日曜日)   大祓(六月三十日小晦日)    
   夏祭(七月第一日曜日)   秋祭(十月第三日曜日) 
   新嘗祭(十一月二十三日)  大祓(十二月三十一日大晦日) 
一、古式
   七曲神事      蜷蒔神事
   千茅神事      誓能神事
   七十五膳大献供神事 神幸式所役(宮座)等  
一、社殿
   寛延三年(1750)藩主 毛利宗廣公により重建(流造り)
一、主な宝物
   神社側近の御物 大内義隆寄進状
   毛利輝元禁制札 毛利宗廣社殿奉建棟札
一、天然記念物
   ツルマンリョウ自生地(出雲神社社叢) 国指定
   大杉(御神木) 町指定
一、氏子
   徳地 出雲・八坂地区の大半
一、末社
   ・境内末社 宇佐八幡宮(応神天皇・神功皇后)
         若宮八幡宮(誉田天皇・仁徳天皇)
   ・境外末社 氏子地区内に二十社余
一、主要距離程
   山口まで 20Km 防府まで 16Km 徳地インターまで 4Km
    (参道入り口案内板より)

 出雲神社(いずもじんじや)〔通称にのみやさま〕
由緒沿革 
 本社は、周防国二宮としてその起源は古く、現在その詳細を窺うことは困難であるが、鎮座は奈良時代の霊亀元年(715)と伝えられる。社伝・古文書及び神祇関係の古典等によると、氏神祭祀の原則にしたがい、大古出雲族の当佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮斎したものと考察される。
 奈良時代の天平九年(737)には、周防国二の宮として勅許を受ける。『周防国正税帳』 (東大寺文書)によると、当社へ春秋祭祀料は二拾束、雑用料及び神戸神田社領を奉納する等の記述がみえる。
 また、平安時代の延長五年(927)、『延喜式神名帳』には周防国内十座の内に出雲神社二座が記載されている。従って、延書式内社として、朝廷を始め摂政藤原氏等に厚く崇敬されていたことがわかる。 鎌倉・室町時代に至ると、大内・毛利氏等代々の領主・藩主の祈願所となり、また徳地地方の総氏神として、人々の崇敬が殊の外厚かった。
 戦国時代の享禄二年(1529)、大内義隆が神馬を寄進し、永禄十年(1567)に毛利輝元が当社に禁制札を掲げる(本社文書)等の記録がある。この外、宝物の寄進、鳥居の建立、社殿の再興・重建・造営を始め、祭祀・祈祷・坪付打渡・幣帛料・裁許任官等の文書が現存し、祭祀・造営等は殆ど藩費をもって護持されていたことが分る。
 明治六年(1873)郷社に列格。明治三十三年(1900)県社に昇格。
大正十五年(1926)、式内勅撰一〇〇〇年式年大祭を執行する。
 (山口縣神社誌より)
参拝月日  03/12/2008

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一の鳥居 拝殿