廣瀬神社(ひろせ)            HOME blog

鎮座地 〒878-0013 大分県竹田市大字竹田2020 旧豊後国 直入郡  
電話  0974-62-3074
旧社格等  県社  
御祭神  ・廣瀬武夫
(合祀)
 ・護國の英靈
御由緒   広瀬神社由緒記
鎮座地 大分県竹田市大字竹田二〇二〇
祭神  海軍中佐 廣瀬武夫命
    武田直入地区戦没者 一六二七柱

神社沿革
 明治三十七年三月二十七日・旅順港閉塞における広瀬中佐の壮烈な死は、時を経て益々人々にその人格を慕われ、神社創建の声が高まり、昭和五年十二月・神社敷地を決定、昭和六年十月奉賛会が結成され、全国各地からの熱心な奉賛と寄進によって、昭和十年三月・社殿が落成した。同五月二十五日鎮座祭を斉行し、県社に列せられ、仝二十七日、中佐誕生日を例祭日として大祭を挙行。
 戦後は政教分離により宗教法人廣瀬神社となり、昭和二十三年四月、竹田市及び近郷出身戦没者を合祀した。
 最近では武人としてのみではなく、上司、部下、友人とそれぞれに慕われ、よき周囲に恵まれてその本分を尽くした生き方をした中佐の人となりが改めて人々に見直されている。
社殿及び建築様式
 神殿 流造(台湾桧材 銅板葺) 九坪六合五勺
 拝殿 入母屋造(台湾桧材 銅板葺) 二十三坪六合
 鳥居 徳山産花崗岩 高二十三尺 開十八尺
 総面積 二千二百四十七坪

 廣瀬中佐略年譜
明治元年5月27日 旧岡藩士席瀬重武の次男として竹田町茶屋ノ辻に生る
仝 8年 4月    母登久子逝去
仝10年11月    父重武高山区裁判所に転任の為飛騨高山煥章小学校大学
仝15年 3月    煥章小学校卒業同校助教となる。
仝16年10月    上京 攻玉社入学
仝18年11月    兵学校入学
仝22年 4月    仝校卒業 海軍少尉候補を任ぜられ練習艦比叡に乗組む
仝27年 7月    日清戦争従軍 仝年10月扶桑乗組
仝29年 4月    横須賀水雷艇隊長となり、盤城艦に乗組む
仝30年 6月    ロシア留学を仰せ付けられる
仝30年12月    祖母ちま子病死
仝32年 4月    ロシア駐在員となる
仝33年4月~    英・仏・独に出張
仝33年 9月    海軍少佐に任ぜられる
仝34年 4月    父重武逝去
仝35年 1月    露都出発、シベリアを経由しての帰途、チタよりハバロフ
         スク迄馬橇にて単独行を果たし3月28日帰朝
仝35年 4月    戦艦朝日水雷長、兼分隊長に任ぜられる
仝37年 2月    日露開戦、第一回閉塞隊として報国丸指揮
仝37年 3月26日  海軍中佐に任ぜられる
仝37年 3月27日  第2回閉塞隊として福井丸を指揮し、午前5時旅順港口に
         て戦死す。  享年37才
  仝 日    叙功3級授金鵄勲章叙勲4等授旭小受賞(4月正4位を贈らる)
仝37年 4月13日  東京青山斎場にて海軍葬
仝40年 5月    竹田山下公園に銅像建つ(戦時中に供出)
昭和10年5月25日 廣瀬神社 鎮座祭

境内建物 
 廣瀬武夫記念館
  神社創建五十年を記念し昭和六十一年五月に建てられたもので、軍艦朝日カッターを始め、
  中佐及び家族の手紙や写真、ロシア駐在時代の愛用品、合祀された戦没者の遺品等を展示。
 巡洋艦比叡のマスト
  神殿向かって左の岩上に設置。中佐が兵学校卒業後初めて乗艦したのが初代比叡である。
  二代目比叡は第二次大戦に活躍したが、昭和十三年マスト取替の際、中佐とのゆかりをもっ
  て海軍より奉納された。昭和二十八年の台風で上部が破損し、昭和四十八年、地元海友会の
  発起により修理復元されたが、又老朽化の為平成八年五月に上部を解体した。
 慰 霊 碑
  戦没者合祀十周年記念事業として、昭和三十四年・遺族会の発起で建立、製作は郷土出身の
  彫刻界の大家故朝倉文夫翁の御厚意になるもので、石は翁が自ら厳選した岡山産赤御影石を
  寄贈されたもの、その石組は、仁・義・礼・智・信を意味している。
 廣瀬中佐歌曲碑
  中佐没後八十年祭を記念し、佐賀に本部を置く 「日本唱歌保存愛好会」 の発起で、昭和五十
  八年三月二十七日建立された。アフリカ産黒御影石に 「鹿瀬中佐 (轟く砲音) 」 の詞と曲が
  彫られている。
参拝月日  04/04/2008

写真をクリックしてくださいフォトアルバムに移動します。

一の鳥居 拝殿