鎮座地 |
〒809-0001 福岡県中間市大字垣生424 旧筑前国 遠賀郡 |
電話 |
093-244-1161 |
旧社格等 |
村社 |
御祭神 |
・應神天皇
・仲哀天皇
・神功皇后
(合祀)
・天照大神 ・ 素盞嗚命 ・日本武命 ・天兒屋根命 ・保食神 ・別雷命 ・底筒男命 ・事解男之命
・布津御魂神 ・猿田彦神 ・武甕槌命 ・大山咋命 ・譽田別命 ・禍津日神 ・伊弉册尊 |
御由緒 |
御由緒
源の須之和名抄によると当社は岡の六郷の第一なり、当所より西北数ケ村埴生郷の内なりしに、中古夫々村名分かれて数ケ村となり今は埴生村の村社となれり。
当社は仲哀天皇神功皇后の旧跡にて往古よりの鎮座である。古、仲哀天皇神功皇后岡の湊より遷幸の時、船の着きし所を船津という。神功皇后この所に船魂の神を祭り給はり、古くは2月8月この船津の頓宮に本社八幡宮(埴生神社)より御神幸があっていた。
当社は古くは御社造りも大社であったが大友宗鱗の兵火にあい焼失しその後今の社地に花尾城主麻生隆実により元亀2年(1571年)に再建されたが、さらに200年後産徒により現在の地に造営された。
旧社跡には伝承の御輿掛けの松が残っていたが明治8年土地改良により民地となり伐採された。また古老の伝えによると類なき磐石があり昔神功皇后この石の上より遠近の山川を眺望されたとして後人名付けて沓石と言い伝えていたが明治28年筑豊鉄道敷設の時打ち砕かれ今は名のみのこる。
昭和27年同じ垣生の地に鎮座されていた十五社神社を相殿として合祀し同時に埴生神社と社号を改称した。
以上
(平成祭データより) |
参拝月日 |
04/30/2006 |