御由緒 |
由緒記
玉依姫命
御祭神 応神天皇
神功皇后
当神社は、御鎮座以来凡そ千4百余年、社殿は藩主黒田忠之公の建立で、宇佐八幡宮の分霊を祀る。文明五年の古文書に二日市の宇佐八幡と称し、神木の銀杏樹は御神霊の御加護によって、天上の兵禍を免れたので、厄除の銀杏といい伝えられている。古来より、縁結び、安産、家内安全、開運の神として尊崇され、御神供の銀杏は災難消除の霊験がある。
祭事
一月 一日 歳旦祭
一月 七日 どんど焼
二月十一日 建国祭
四月第二土曜日 春季大祭 おんな神輿
七月十四日 夏祭 子供神輿
七月三十一日 夏越祭 茅輪くぐり 大祓式
十月十四日 秋季前夜祭
十月十五日 秋季例大祭 神幸式
十一月十五日 七五三祭
十一月二十三日 新嘗祭
十二月三十一日 古神札焼納祭、大祓式、除夜祭
毎月一日 十五日 月次祭
神木銀杏樹について
古記録二日市庄屋覚書に岩屋城の戦の時、秋月種実公から薩州に助勢をたのんだので、島津勢が攻めてきて岩屋城主高橋紹運公をを討ち亡ぼし、帰りに当所氏神八幡宮の銀杏樹を伐ろうとしました。其節長百姓惣左衛門の後家で八十歳の高齢になった老母がこの乱暴沙汰を耳にし早速かけつけ「これは当所の氏神八幡宮の神木です。そんなことをしたらたちまち御罰をこうむりますぞ。」と言いそのまま木に抱きつき「この木を伐りなさるならばまづこの婆々を斬ってからにしなさい。」と身をもってはばみました。島津の者ども恐れをなしたかついに斧を捨てそのまま立ち去ったということです。この時、銀杏樹は半分ほど伐りこまれていました、今もその伐り跡があります。所の人民若い人等男女いずれもこの伝を聞き覚え、何かの時には話の種にすることです。(原文は候文)
岩屋城の合戦は天正十四年(一五八六年)のことであるから、約四百十余年も昔のことで、そのころすでに神木として信仰されていたのがこの銀杏樹であります。
二日市八幡宮
(境内由緒掲示板より)
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