御由緒 |
八幡宮(はちまんぐう)
鎮座地 〒747-0342 佐波郡徳地町大字船路二六一七番地
祭神 (主祭神)道反大神(ちがえしのおおかみ)
(配祀神)八幡大神(やはたのおおかみ) 羽明玉命(はあかるたまのみこと)
由緒沿革
本社は旧号を「式内御坂神社」と称していた。社伝には、「道反神大国主神二神同躰の神秘也、古天穂日命筑紫より出雲に到り玉う時、當郷弥坂山に出顕し玉ひ、人皇十二代景行天皇周防婆磨に行幸の時、神託に依り三綱柏葉に飯を包み、川蝦を供え祭祀し玉う云々」とある。従って三綱柏を社紋とし、例祭には川蝦を献供するはこのためである。
平安時代の延喜の頃(901~)周防国十社の一つであった。社殿は陽悦山の麓上野に在った(今宮跡、馬場は田野という)。
戦国時代の永保三年(1560)、当社は焼失し、同村下庄字上野原に社地を見立て再建する。
鎌倉時代の寛元二年(1244)、上野貞光が二宮・玉祖神主兼務の時、大内弘貞の命により、二宮・玉祖より八幡大神を勧請し、これより御坂八幡と称え奉る。
又室町時代の応仁元年(1467)、洪水により社殿が埋没したため、現今の社地に奉遷するという。
江戸時代の寛保の頃(1741~)より式内争いが起り、三坂神社と長い間論争を行ったが、明治四年(1871)、式内社は三坂神社に決した。このため、当社は社号換えを命じられ、この時より八幡宮と呼称することになった。
羽明玉命(はあかるたまのみこと)配祀の由来ははっきりしない(旧県社)
(山口縣神社誌より) |