藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)          HOME blog

鎮座地 〒860-0841 熊本県熊本市井川淵町3-1 旧肥後国 飽田郡 
電話  096-343-1543
旧社格等  国幣小社 現別表神社
御祭神  ・應神天皇
 (配祀)
 ・住吉大神
 ・神功皇后
 (合祀)
 ・阿須波之神 
御由緒  藤崎八旛宮は、承平5年(935年)朱雀天皇の勅願によって、山城国(京都)の石清水八幡宮を、国家の鎮護として茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのが始まりである。
 鎮座の日、勅使が藤の鞭を地中に挿したところ、芽を吹き枝葉が栄えたので、藤崎宮の名称が起ったと伝えられている。藤崎八旛宮の「旛」は天文11年(1548年)後奈良天皇宸筆の勅額によるものである。
 創建以来、朝廷をはじめ歴代の国司、地頭、藩主から庶民にいたるまで、とくに崇敬厚く、一国の宗廟と称され、社殿の修造は常に勅命によって時の国司、国守が承平草創の例にならって造営する伝統が踏襲された。
 明治10年、西南の役で、壮大を極めた社殿は尽く灰燼に帰し現在の井川渕町に御移転、爾来造営も逐次竣成し、今日の壮麗を拝するに至った。
-旧国幣小社-

〈例祭〉
 例大祭は、昔から肥後国第一の祭礼と称せられ、鎮座以来1050余年の歴史と伝統を誇る祭りである。
大祭の圧巻は神幸祭で、三基の御神輿を牛車に奉じ、神職・総代・随兵頭率いる甲胄武者百騎・長柄の槍50人・長柄頭・御幸奉行・獅子・町鉾・奉納みこし・奉納飾馬の順に供奉し、未明に本宮を御発輦、市街の目抜き通りを5粁余り練り御旅所に向う。御旅所では仮宮御祭儀があり、引き続き金春、喜多両流による演能数番の後、本宮へ向け再び市中を練って御還幸。この間、御道筋は奉拝者に溢れその数30万とも40万とも云われている。

〈飾馬〉
 神幸式中の呼物、飾馬は、古くは神職の乗り馬であったが、いつの頃からか、鞍の上に紅白またはその他の色布で巻いた太輪の馬飾りをつけ、大勢の勢子が、威勢よく囃し立てながら追うようになったのが起りと云われ、血気にはやる勢子、跳ねる馬に、観衆も一体となって町は興奮のるつぼと化するのである。

〈藤祭〉
 4月13日~15日
藤の花の咲く頃4月、春の大祭「藤祭」がとり行なわれ、神恩に感謝して、五穀の豊穣と諸業の繁栄とを祈願する。この祭は当宮鎮座の際、勅使が挿した藤の鞭に芽が生じ枝葉が繁茂した奇瑞に由来するものである。

<射去祭>
 1月9日
平将門追討、勝利祈願の天皇宣下によって起った当宮独特の神事で、神前に大弓、大矢を飾り、弓太郎、弓次郎以下の射手が拝殿の前庭で甲矢、乙矢を射放ち、天下泰平、五穀豊穣を祈願する。

 (神社パンフレットより)
参拝月日  04/04/2007

写真をクリックしてくださいフォトアルバムに移動します。

            境内入口の鳥居                                 拝殿