御由緒 |
当神社は、文政五年六月(1822)に特牛港の西端に蛭子大明神および厳島大明神を斎り社殿を建立したが、後に厳島大明神は今日の特牛渡船場の沖の小島に御遷座された。
特牛金比羅社は社殿崩壊のため昭和五十四年四月に蛭子神社に合祀される。特牛天神社は天保五年に御鎮斎されたが社殿の荒損著しく、社殿の維持管理も難しく平成四年二月三日に蛭子神社神殿正面左に御遷座す。
蛭子神社は平成三年九月十七日の台風19号にて損壊したため特牛地区民により社殿改築工事が着手され平成四年二月四日に竣工祭が行われた。
(平成祭データ)
当社は、江戸時代の文政五年(一八二二)に特牛港の西端に、蛭子大明神と厳島大明神を奉祀して社殿を建立した。
しかし、この後に厳島大明神は、特牛渡船場沖の小島に御遷座された。
蛭子神社の社殿は、昭和十年(一九三五)、田村甚一宮大工によって新築され、平成四年(一九九二)、社殿の改修と増築をする。
昭和五十四年(一九七九)、金比羅社の祭神を合祀し、平成四年(一九九二)に天神社の祭神を当社に御遷座合祀する(旧無格社)
(山口縣神社誌)
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