御由緒 |
景行天皇平定より八年後熊襲征討のため入国した日本武尊は、土豪大兄彦が献じた御神器の弓矢をこの地に鎮祭した。玉体を近くに守り給うとの意をもって近津大神と称し、又戦に千度勝つようにとの願いをこめて千勝社とも呼ぶ。
主祭神の伊奘諾尊・伊奘冊尊は健康長寿の神として、又軻遇突智命は火の神として昔より多くの人たちの信仰を集めている。
境内には直方藩主黒田長清の歌碑や当地名発祥の源となった十堂像も祀られている。
(平成祭データ)
近津神社御由緒
伊弉諾大神(イザナキノオオカミ)
御祭神 伊弉册大神(イザナミノオオカミ)
軻遇槌大神(かぐツチノオオカミ)
景行天皇平定より八年後(西暦七十九年)熊襲征討のため入国した日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、土豪大兄彦が献じた御神器の弓矢をこの地に鎮祭した。玉体を近くに守り給うとの意をもって近津大神と稱し、又戦に千度勝つようにとの願いをこめて千勝社とも呼ぶ。
主祭神の伊奘諾命・伊奘冊命は健康長寿の神として、又軻遇槌大神は火の神として昔より多くの人たちの信仰を集めている。
境内には直方藩主黒田長清の歌碑や当地名発祥の源となった十堂像も祀られている。
社殿は慶長元年(一五九六)雷火のため焼失、寛文13年(一六七三)に再建され、その後大正十四年現在の神殿・拝殿を新築した。
(境内御由緒石碑より)
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