鎮座地 |
〒753-0861 山口県山口市矢原1241 旧周防国 吉敷郡 |
電話 |
083-925-3826 |
旧社格等 |
郷社 |
御祭神 |
・罔象女命
(配祀)
・譽田別命 ・氣長足姫命 ・大鷦鷯命 ・田心姫命 ・湍津姫命 ・市杵嶋姫命
・表筒男命 ・中筒男命 ・底筒男命 ・伊邪那美命 須佐之男命 |
御由緒 |
朝田神社 (周防五の宮)
▼ 御祭神 罔象女神(みずはのめのかみ) 他十一柱
▼ 由緒
古くは大歳村に一郷社・六村社 即ち
朝田の地に朝田神社(旧郷社)
今井の地に若宮八幡宮(旧村社)
上湯田下の地に八幡宮(旧村社)
高畑・現在地に住吉神社(旧村社)
岩富の地に黒川八幡宮(旧村社)
勝井の地に熊野神社(旧村社)
高井の地に八幡宮(旧村社)
の七社が鎮座され、数百年間氏神・氏子として尊崇されてきましたが、明治三十九年発布された神社整理に関する内務省令により、現在地に六社の神々が合祀に相成り、大歳地区の総氏神として崇敬されて参りました。
合祀の文によれば「明治三十九年に事起り、めでたく落成奉祝祭を執り行はれしは大正二年十一月にして、満七ヶ年の長き年月を要し、数百回の会合に、氏子中の日の寄進を数ふれば幾千日を知らず」とあります。
昭和五十八年は七社の合祀されてより七十五年にあたり、氏子の皆様方から浄財の御寄進をいただき、御社殿の修理・境内の整備が完了し、二十五年ごとに行われる式年大祭が晴天の内に盛大に奉仕されました。
今更ながら神恩に感謝し、祖先の守り伝えた伝統を更に子孫に伝え遺す覚悟を新たにする次第です。
▼ 年間の祭事
一月一日 歳旦祭
二月 節分祭(厄除・日生祭)
四月十八・十九日 春祭
七月土用三日 田道祭
八月十九日 風鎮祭
十一月十五日 七・五・三
十一月十八・十九日 秋祭(例大祭)
十一月下旬 新嘗祭
十二月三十一日 大祓祭
毎月一日 月次祭
昭和五十九年七月記
(拝殿由緒掲示板)
朝田神社 〔通称ごのみやさま〕
鎮座地 〒753-0861 山口市大字矢原1241番地
祭神 (主祭神)罔象女神 伊邪那美神 表筒男神 中筒男神 底筒男神
応神天皇 気長足姫神 仁徳天皇 田心姫神 湍津姫神 市杵島姫神 素盞嗚命
由緒沿革
当社は明治39年(1906)神社整備に関する内務省令発布により、元大歳村内の一郷社と六村社が
合祀し、朝田神社と称することになった。この時の七社の沿革は次の通り。
〇五ノ宮大明神(朝田・旧郷社)
創建の年月は不詳。周防五社の内の一社で、五ノ宮大明神と称され、大内氏の崇敬篤く、室町時代 の明応6年(1497) 大内義興の五社参詣の記録がある。再建立の棟札に、明応8年(1499)とある。 明治6年(1873)郷社に列せらる。
〇八幡宮(高井・旧村社)
創建年月は不詳。豊前国宇佐八幡宮より勧請。再建立の棟札に、室町時代の享禄2年(1529)とある。
○熊野神社(勝井・旧村社)
大内弘世公が、紀伊国熊野神社より勧請という。大内義隆公の時(天文年間)、陶隆房の放火により 焼失。江戸時代の承応2年(1653)、再建と伝えられる。
〇八幡宮(黒川・旧村社)
山城国男山八幡宮より勧請という。洪水により流されることが多く、江戸時代の慶長15年(1610)移 転。
本殿再建立の棟札は享保6年(1721)、舞殿再興の棟札は享保21年(1736)とある。
○住吉神社(現社地、矢原・旧村社)
摂津国住吉神社より勧請という。再建立の棟札に安土桃山時代の天正8年(1580)とある。
○若宮八幡宮(矢原)
鎌倉時代の正安元年(1299)、豊前国宇佐八幡宮より勧請と伝える。川端に社あり、洪水の折古記等流 失。
室町時代の天文2年(1533)、再建立という。
〇八幡宮(正八幡・小八幡とも称す、上湯田)
往古鎌倉鶴岡八幡宮より勧請と伝えるが、詳細は不明。
(江戸時代の延宝8年(1680)、平川村平清水八幡宮より勧請の説あり)
明治39年(1906)、大歳村会で合祀を可決した。同年末、合祀のための組織づくりに着手し、新委員により新しい神社は村の中央にある住吉神社(旧村杜)境内とし、社殿は総ての旧社殿を移転して建設することになった。
同42年(1909)、知事の認可を受けてから、氏子は交代で整地奉仕作業を続けた。同年末には本殿・幣殿・拝殿が落成し、正遷座祭を斎行した。この後も引き続き、付属物や馬場・参道の整地等の土木工事が行われ、大正2年(1913)、満七ヶ年を要した大工事は終了した。このことは「村民が敬神の念深き故」と記録されている。
(山口縣神社誌より)
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参拝月日 |
03/12/2008 |