鎮座地 |
〒678-0235 兵庫県赤穂市上仮屋129 旧播磨国 赤穂郡 |
電話 |
0791-42-2054 |
旧社格等 |
県社(現別表神社) |
御祭神 |
・大石良雄 大石良金 吉田兼亮 原元辰 堀部金丸 堀部武庸 片岡高房 間瀬正明 小野田秀和 間光延
・磯貝正久 近松行重 富森正因 中村正辰 菅谷政利 不破正種 木村貞行 千馬光忠 岡野包秀 貝賀友信
・大高忠雄 神崎則休 三村包常 横川宗利 茅野常成 間瀬正辰 村松高直 矢頭教兼 奧田行高 間光興
・大石信清 矢田助武 赤埴重賢 早水滿尭 潮田高教 奧田重盛 村松秀直 杉野次房 勝田武尭 前原宗房
・小野寺秀富 岡嶋常樹 吉田兼貞 武林隆重 倉橋武幸 間光風 寺坂信行
・萱野重實
・淺野長直 淺野長友 淺野長矩
・森可成 森可隆 森長可 森蘭丸 森坊丸 森力丸 森忠政 |
御由緒 |
四十七義士を祀る
大願成就の神 赤穂大石神社
こ祭神
義士の統領大石内蔵助良雄命を始め四十七義士命、中折の烈士萱野三平命
播州赤穂城主浅野内匠頭長直・采女正長友・内匠頭長矩の三侯
洩野家断絶後の藩主森家の可成・長可・忠政・可隆・蘭丸・坊九・カ丸の七武将
由緒
大石神社は明治元年、明治天皇の東京行幸に際し、泉岳寺の義士墓前に宣旨並びに金幣を賜ったのを契機に神社奉斎の議が起こり明治三十三年神社創立が公許され、大正元年十一月三日義士を崇敬追慕する方々の奉賛により御鎮座となった
ご祭神四十七義士が一年十ケ月の永い艱難辛苦の未見事主君の仇を討った事により大願成就、願望成就の神として全国よりお参りを頂いている
境内地は大石内蔵助、同じく家老の藤井又左衛門そして義士片岡源五右衛門、大石瀬左衛門の邸跡一帯である
尚、ご社殿を始めとする境内各施設は平成十四年の義士討入り満三百年を記念した境内整備事業により一新された
例大祭日 十二月十四日
この日は赤穂義士が吉良邸に討ち入り見事主君の仇を討った日であり、赤穂市を挙げての義士祭か終日行われる
義士史料館
境内には四十七義士の討入り関係遺品、浅野家・大石家に伝わる宝物を展示している義士宝物殿・同別館、義士白刃二百五十年を記念し当代一流の彫刻家による浅野長矩像を始め四十七義士の木像を納めた義士木像奉安殿、大石内蔵助邸長屋門・庭園の四ヶ所が史料館として拝観できる
(社頭由緒掲示板より)
境内社合祀殿
国助稲荷社
宇迦乃御魂をご祭神とする国助稲荷は失せ物、落し物を見つけるに霊験あらたかと信仰を集めている
淡嶋社
和歌山加太に鎮座の淡嶋明神を勧請したもので特に婦人の諸病に霊験あらたかと信仰され毎月三、十三、二十三の縁日には婦人の参詣が多い
例祭は十月三日
恵美寿宮
商売繁昌の神 毎年一月十日に商売繁昌・社運隆昌を祈願する祭典が行われる
尚、以前の社殿は市内田町に移築
天満宮
学問・書遺上達の神 毎年七月二十五日の天神祭りには奉納の献書をボンポリに吊るし、多くの参拝者で賑わう
山鹿社
山鹿流兵学の創始者山鹿素行命を祀っており、その影響にてやがて四十七義士が生まれたと言われている
八田社
塩田の守護神 赤穂塩田の大地主、八田四郎右衛門が安芸の宮島から厳島大明神を勧請してお祀りした社
忠魂社
もとは赤穂霊社、旧制赤穂中学枚出身者で大東亜戦争に散華した尽忠護国の英霊を祀ったのが始まりで旧赤穂町出身の明治以降の英霊を併せ祀っている
(社前案内板より)
赤穂城は浅野家初代藩主浅野内匠頭長直(刃傷をした長矩の祖父)が十三ヶ年の歳月を費やして築城した変形輪郭式の海岸平城で、近世の名城として国の史蹟に指定されている。
三の丸には大石内蔵助ら四十七士を祀る大石神社があり、元禄時代の建物として唯一現存する大石旧邸長屋門がある。
また大石邸庭園は元禄の昔大石内蔵助・リク夫妻、主税を始め子女らがそぞろ歩きをし、嬉々として戯れ遊んだ池泉観賞式回遊式の江戸初期の古庭園である。
義士宝物殿には四十七士の討入関係の遺品や城請取り関係の貴重な史料を展観、同別館には浅野家及び明治廃藩までの城主森家の先祖森蘭丸ら戦国武将着用の甲冑武具が多数陳列してある。
また義士木像奉安殿には大紋烏帽子姿の浅野長矩像、袴姿の大石良雄像を始め現代超一流の木彫家が精魂こめて製作した四十七義士の木像を奉安してある。
(この券は四ヶ所共通券ですので各入口でお示し下さい。)
(大石神社義士資料館拝観券より)
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参拝月日 |
04/05/2009 |