駿河國一の宮「式内社」富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ) HOME blog

鎮座地 〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1-1 旧駿河国 富士郡  
電話  0544-27-2002(代) FAX0544-26-3762
旧社格等 官幣大社 (現別表神社)
駿河國一の宮
式内社 駿河國富士郡 淺間神社 名神大
御祭神  ・浅間大神 木花之佐久夜毘売命
御由緒  富士山本宮浅間大社
御祭神
 主神 木花之佐久夜毘賣命
 配祀 天津日高日子番能邇々芸命
 大山津見神
御由緒
 人皇第七代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し、人民が難散し国内が荒れ果てたので、第十一代垂仁天皇の御代に至り、富士の神霊を山足(山麓)の地に鎮祭した。これが浅間大社の創祀である。第十二代景行天皇の皇子日本武尊が東征の際、浅間大神の神助を畏み、山宮の地(現在地の北方六キロ)に篤く大神を祭られた。その後、平城天皇の大同元年(八〇六)坂上田村麿が勅命に依り、神霊を山宮より大宮(現在地)に遷し奉った。以来実に一千百余年、全国一千三百余社に及ぶ浅間神社の総本宮として、全国的に篤い崇敬をあつめている東海最古の名社である。
 古来、朝廷の尊崇極めて篤く、延喜の制では名神大社に列し、駿河国の一宮として崇められた。武家時代に入ってからは、源頼朝をはじめ、北条義時、武田信玄、同勝頼、等の各武将は、それぞれ神領や神宝を献納して篤く崇敬した。
 特に徳川家康は天下を平定した、奉賛のため、慶長九年(一六〇四)に本殿以下の諸社殿を奉建し、更に富士山八合目以上を社地として寄進した。
 本殿は二層の楼閣をなし、浅間造りと称し重要文化財に指定されている。
富士山信仰
 霊峰富士山は、古来浅間大神の鎮まり坐す神体山として、全国の登拝者の最も尊崇するところである。頂上には奥宮、久須志神社の二社が鎮坐しているが、共に浅間神社の奥宮で、八合目以上はその聖域にして境内地である。
祭礼神事
 例祭 十一月 四日
 流鏑祭 五月 五日
 御田植祭 七月 七日
 開山祭 七月 七日
 閉山祭 九月 七日
湧玉池
 神社の東側神苑にある。富士山の雪解け水が溶岩を浸透し、神立山の山裾からこんこんと湧出している。湧出量毎秒三・六Kl(約二〇石)、水温は年間を通じ十三度C。特別天然記念物に指定されている。この池は古来、富士登拝者が沐浴潔斎をしたところである。
 (境内案内板より) 

富士山本宮浅間大社の栞
 第七代、孝霊天皇の御代富士山が噴火し鳴動常なく人民恐れて逃散し年久しく国中が荒れ果てたので第十一代垂仁天皇は其の三年に浅間大神を山足の地に祭り山霊を鎮められた。これを当浅間大社の起源とする。ついで第十二代景行天皇の御代日本武尊が東夷御征伐の時駿河国に於て賊徒の野火に遇われたが富士浅間大神を祈念して其の災をのがれた給い、その賊を征服するや山宮の地(大宮の北方約6キロ)に於て厚く大神を祭られた。其の後第五十一代平城天皇の大同元年坂上田村麿勅を奉じて現在の大宮の地に壮大な社殿を営み山宮より遷し鎮め奉った。 
 爾来一千百余年全国一千三百余に及ぶ浅間神社の総本社として全国的崇敬をあつめる東海の名社となっている。
古来朝廷の御尊崇極めて厚く延喜の制には名神大社に列し、駿河国一宮として勅使の奉幣神領の御寄進等にあずかり、武家時代に入るや源頼朝は神領を寄進し、北条義時・足利尊氏同義持等何れも社殿を修営し、武田信玄・同勝頼父子は諸種の宝物を献上し社殿を奉建し、豊臣秀吉も亦神領を寄進した。慶長九年徳川家康は戦国擾乱の鎮静と将軍宣下の奉賽のため本殿・拝殿・楼門その他を奉建し更に同十一年には富士山八合目以上を当社へ寄進した。爾来徳川氏は本社を崇敬すること極めて深く、家光は社領を献じ家綱・綱吉・家治・家斉・家定・家茂等も夫々祈祷料・修理料を寄進した。
 又室町時代に始まった富士登拝は江戸時代に入っていよいよ殷盛を極め以来今日に至っているが、本宮所在の大宮は富士山表口と称せられ関西方面から来る道者(どうじゃ)の登山口たることは勿論、特に本宮を崇敬する関東、東北の道者も此の道を選び、又甲斐、信濃より来る道者も少なくなかった。彼等は社人中特定の道者坊に着いた後本宮に参詣し、更に境内の湧玉池にて斎戒沐浴して登山するのを習いとした。
明治に及んでは其の四年五月十四日国幣中社に、同二十九年七月八日官幣大社に列せられた。
 (平成祭データ)
参拝月日  03/30/2009

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大鳥居 社殿全景