「式内社」須佐神社(すさ) HOME blog

鎮座地 〒693-0503 島根県出雲市佐田町須佐730 旧出雲国 飯石郡 
電話  0853-84-0605
旧社格等  国幣小社(現別表神社
式内社 出雲國飯石郡 湏佐神社
御祭神  ・須佐之男命
(配祀)
 ・稻田比賣命
 ・脚摩槌命
 ・手摩槌命
御由緒   須佐神社(須佐大官)
         島根県出雲市佐田町須佐七三〇 鎮座
                    電話 〇八五三-八四-〇六〇五
 御祭神 須佐能命 (須佐之男命)
       稲田比売命 足摩槌命 手摩槌命(須佐家の祖神)
 出雲国風土記に、この国は小さい国であるがよい処である。それで自分の名は岩木にはつけない、土地につけると大神が仰せられて、大須佐田、小須佐田を定められ、自分の御魂を自ら鎮められたという意が書かれてあり、即ち御名代として又大神の御本宮として霊験あらたかな御社である。
 御本殿 大社造(切妻、栩葺、県重要文化財指定)
 神 宝
  古文書、古器数多く、中でも天文壬子年尼子民部少輔晴久奉納の「兵庫鎖の太刀」(重文)、古社図、左甚五郎作と伝える「獅子頭」、足利義政の奉納と伝える春日の作という舞楽面「納蘇利」等は有名である。
 神 事
  朝 覲 祭…摂社天照社へ 行幸の神事。
  陵王舞神事…悪魔退散、修理固成、耕作播種の神事。
  百手神事…悪魔退散、国家安泰、五穀豊穣を祈る神事。
  切明神事…(念仏踊り、県無形文化財)大花に須佐大神の神霊を迎えて、御心をお慰めする神事。
 祭 日
  一月一日  歳旦祭
  二月節分日 節分祭 蘇民将来の古事にならって「茅の簡」を参拝者に悪病退散厄除けのため授ける。
  二月十七日 祈年祭
  四月十八日 例大祭、この日朝覲祭 (神幸) を奉仕する。
  四月十九日 二の祭 陵王舞神事、百手神事を奉仕する。
  八月十五日 切明神事祭 切明神事(念仏踊) を奉納する。
 一〇月十七日 秋 祭
 十一月二三日 新嘗祭

  附 記
 その昔、須佐の郷は唯茂れる山であり、僅かに川添いに猫額の耕地をもった寒村に過ぎなかった。須佐之男命が諸国を開拓し須佐の地に来られ、最後の国土経営をされ、「この国は小さいけれ共よい国なり、我名を草木にはつけず土地につける」と仰せられ大須佐田、小須佐田を定められたので須佐という、と古書に見えている。命がこの地に一生を終えられてから二千有余年、その御神徳は今日まで及び村は栄え、子孫は生業を得て繁栄している。須佐大神の恩頼にかかぶりて、農業の成功を、交通の安全を、畜産の発達を、子孫の繁栄を、良縁の結ばれんことを、諸障退散病気平癒を祈るもの、精神錯乱の恢復を祈請するもの、比較的交通の不便をいとわず陸続として来る有様で、その御神徳の程がしのばれる。
只惜しむらくは、須佐の大宮は何としても僻陬の地であったため、中央との交渉、接触少なく、知られねばならぬことも知られず、顕彰さるべき事もそのままに時は移り、時代々々で国守の崇敬は得ていたとしても神社の社格のことも須佐国造家のことも他国の神社やそれに比して決して十分な待遇がなされていなかった事は色々な事象に照らしても明らかで、後人の等しく遺憾と思うところである。
 須佐家の事を付け加えるならば須佐大宮司家が国土開拓に功ありし国つ神の末裔であるというので国造に命ぜられたのは、二十四代益成宮司の時で成務天皇三十年(一六〇年)今より千八百四十余年前のことである。それより出雲太郎、出雲次郎を名乗っていたが、永享年中(一、四三四年)出の一字を除き、代々交代に雲太郎、雲次郎として今日まで連綿七十八代、二千六百八十余年を経ている。今の宮司建紀氏は雲太郎である。須佐の姓は明治の始めにつけたもので、それまでは須佐国造某と名乗るを常としていた。尚国造の制は大化の改新の時廃されたが、出雲、紀伊、阿蘇及び尾張の国造だけは残されてその名を存している。
 
 <須佐の七不思議
塩ノ井 
  門を入って右側の小池。須佐之男命自ら潮を汲み此地を清め給うたという。          \
  日本海満潮の時は附近の地面に潮の花をふく。
  内用浴用すればほとんどの万病に効果あり。
落葉槇 
  槇(柏)の葉に松葉で通した孔がある槇の喬木。
  そのかみ、稲田姫が、誕生山でお産をなさった時、産具を柏葉で包み松の葉で綴じ流瀬川にお流しになり、今の
  処にとどまり生育して現在にいたる。
影無桜 
  昔、隠岐国で耕田が稔らず不作が続いた時、知々井の某に夢想があり「須佐大官の境内に大きい桜が繁茂して、
  それが隠岐へ影をさす為に耕作が出来ぬから、早く須佐の国造に頼んでその桜を切ればよい」 とのことであっ
  た。そこで桜を切ったので隠岐で耕作が出来るようになったと伝えられる
星 滑 
  須佐の中山の嶺のあたりに岩石が露出して谷の様になっている所に白い斑点がある。それが豊年なれば光沢が
  あって大きく見え、凶年なれば光沢がなく小さく見える。
雨 壷 
  神社の西を流れる素鵝川に沿って、約一粁下流の田の中に大きな岩があり、その中に径二尺(七十センチ)余り
  の芝生がある。これを犯せば須佐大神の怒りにふれて洪水があり、犯した者の家には不吉なことがあるという。
相生松 
  男松、女松が一本の大木となっている。今は枯れてなし。
神 馬 
  須佐大宮に奉献された神馬はどんな毛色の馬でも後で必ず白馬に変わる。また、吉凶、種々の異状をよく予知せ
  りという。今はなし。
 (神社パンフレットより)
参拝月日  10/19/2008

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境内入口の鳥居 社殿全景